2017年6月24日 (土)

Boom Technology's XB-1

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 ロンドンのヒースロー空港を車で行くと、入口のロータリーにコンコルドの
 大きな模型が飾ってある(今もまだあるのかな? ブリティッシュエアの
 カラーリングです)。

 その姿は誇らしげではあるのだけれど、今は、いやこれからは、
 もう模型でしかその姿を見られないだろうと思っていたのです。
 何故って、未来の航空旅客機は環境問題を解決するために、やがて
 電動化されるだろうと。仮に化石燃料を代替する藻類や大腸菌が出来た
 としてシリーズハイブリッドの形式が本命。そう考えているので。

 しかしながら、6月のパリ航空ショウで新世代のコンコルドとも呼ぶべき
 超音速旅客機の開発が公開されたのです。
 (ここで取り上げたプレス記事は昨年11月のもの)

 名前はXB−1。米国の航空ベンチャーBoom Technology社による
 もので、曰く「ジェット時代の夜明けから60年、私たちはまだ1960年代
 の速度で飛んでいる」「コンコルドの設計者には、手頃な価格での超音速
 旅行を可能とする技術がなかったが、今ならできる。2017年末には
 初飛行が予定される最初の航空機を公開できることを誇りに思う」とのこと。

 ベンチャーとは言いながらファウンダーはAmazon。
 NASA、SpaceX、Boeingの出身者が集い、現在の航空業界の頭脳を
 結集したBoom Technology社。そのバックにはGEとVirginがつき、
 これまでに培った航空技術のすべてをつぎ込むという。
 とは言うものの、ダグラスDC−3との共通項がひとつ。安全性と
 信頼性が実証済みの技術(空力、材料、推進力)を駆使するとのこと。
 リスクを抑える航空機設計のセオリー自体は変わらないのでしょうが、
 技術革新によってマッハ2.2の超音速、高度6万メートルでの飛行、そして
 アフターバーナーのないターボファンエンジンで、燃費もコンコルドより
 30%向上するという。
 ちなみにXB-1のターゲット層はかつてのコンコルドと同様。
 その価値はズバリ、時間。
 ロンドンーニューヨーク間を3時間程、サンフランシスコー東京間を
 5時間で飛び、日帰りを可能にするとのこと(フライト時間は兎も角、
 その出張で日帰りを望む人がどれほどいるか判りませんが・・)。

 かつて超音速は航空機の夢の形のひとつでした。経営学には
 コンコルド効果という言葉がありますが、確かに超音速は実現できた
 けれど、莫大な開発費と期間、燃費、騒音、高額の運賃など超音速
 以外の利点はほとんど見出せなかった。
 2000年のパリでの墜落事故、そして911同時多発テロの影響で事業
 収益は更に悪化し、その役目を終えたのはまだ記憶に新しいところ。
 残念ながらコンコルドの拘りは、人を幸せにしなかったと言えまいか。
 その終焉は航空業界ではじめての後退と呼ばれた。

 例えば身近では、ワープロによって漢字が書けなくなった。
 自動車の登場によって移動の自由と引き換えに人は歩かなくなった。
 インターネットやスマートフォンの登場によって、生活は便利にはなったが、
 ものを考えなくなった。
 昨今SDGsが謳われているけれど、もしかしたらそれらは人に無理なく沿う
 テクノロジーによって実現されるのかもしれない。
 インターネットによる一瞬の検索よりも、広辞苑を開くことが考える間を
 与えてくれるように。
 ネットワークオーディオがどれだけ高音質で安価であっても、ヴァイニール
 (レコード)の音楽が愛されたりするように。
 DC−3が人を魅了する理由も、どうもその辺にあるまいか。
 選択肢がある豊かさを、もちろん否定はしないけれども。

 ギリシャ神話のイカロスは、蝋で固めた翼によって自由に飛翔する能力を
 得る。が、太陽に接近し過ぎたことで翼が溶けてなくなり、墜落して死を
 迎える。
 イカロスの物語は人間の傲慢さやテクノロジーを批判する神話として知ら
 れるのだけれど、しかしながら戒めの教訓とは逆に、自らの手で翼を作り
 飛び立ったイカロスを挑戦と勇気の象徴と解釈する説もある。

 イカロスは時を得て蘇り、再び大空に羽ばたいたという続編がはたして
 ギリシャ神話にあるのかどうか、私は知らない。

 
 


 さてDC−3と新旧コンコルド、いずれにも機械としての矜持があること
 には違いない。
 やがて航空旅客機も電動化と超音速で二極化するのでしょうか。

 XB-1はパリ航空ショウの発表では2020年に初飛行、2023年に
 市場参入を予定しているとのこと。

 
 

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2017年6月10日 (土)

Breitring's Douglass DC-3

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 ブライトリングの持っているダグラスDC−3が日本を訪れた。
 ワールドツアーの途中、勿論時計のプロモーションを兼ねて震災復興の
 チャリティイベントとして熊本、神戸、会津と福島へ。
 そこから幕張のエアレースへエキジビションフライトをするという。

 そして6月初めのよく晴れた日曜、東京湾へ自転車を走らせた。 
 福島方向から東京湾へ飛んでくるとしたら、飛行ルートとして待ち構える
 べきは江戸川の河口、三番瀬だろうと狙いをつけて。子供みたいだ。

 ところで、現役のDC-3を見たことってありましたか?
 私はあります。アテネ空港からサントリーニ島へ渡るときオリンピア
 (オリンピック)航空で偶然。超ローカル線とはいえ、そろそろ20世紀が
 終わろうとしている90年代。
 成田を出てから3回の乗り継ぎを重ね、28時間以上不眠の時差ボケで
 フラフラでしたが、その機体を見た途端に目が覚めました。
 離陸前に窓から格納庫を見たら、同じくデ・ハビラントと思しき機体も
 見えて、これまた興奮。
 その時でさえ、よくまぁ生きているもんだと感心した覚えがあります。
 何故って、その当時の空の旅は超音速(コンコルド)が舞台の主役であり、
 大型大量輸送(747)が主流だったのです。
 もはやロートルのプロペラ機は急速に忘れ去られる存在でした。

 ライト兄弟の有人初飛行が1903年の12月17日。
 ダグラスDC−3の初飛行はそれから32年後、1935年の同日
 (ドナルド・ダグラスが表敬でその記念日を選んだ)。
 両機の間がたった32年と考えたら、航空機の歴史がいかに飛躍的、
 まさに飛ぶ鳥の勢いだったか。途中リンドバーグの単独大西洋横断が
 1927年と考えても、そこからDCー3まで5年なのです。
 今風に言えばエクスポネンシャル、指数関数的進歩。
 オール金属製モノコックや引込み脚、可変ピッチプロペラといった
 その後の航空機としての基本構造も然ることながら、夜間飛行のための
 開放式寝台とキッチン!まで備えていたというのですから。
 前型のDC−2までに培った経験を積み重ね、技術リスクを最小限にし、
 叡智を結集して生まれた大傑作。
 そうできた理由は何かと考えたら、一つにはその時代は設計にはまだ
 コンピュータが使われていなかったから、と思うのです。
 ドラフターと雲型定規、そして計算尺は人の手にもっとも近い道具だった。
 もちろんコンピューターのお陰で得られたものは計り知れない。
 しかしながら、その引換えに失われたものはある。
 
 ブライトリングのDC−3は1940年製とのこと。齢77歳。
 航空機体の寿命は離着陸の回数で決められている。エンジンは飛行時間。
 しかし機械モノである故、ブライトリングが証明しているように、部品交換や
 メンテナンスをすれば現役で(オリジナルを保ちながらでも)飛び続ける
 ことは可能なわけです。

 今はクラシックカーや蒸気機関車のイベントに大勢の人が集まるぐらい
 日本の文化民度も(未だ米欧には遠く及ばないものの)熟しているのだから、
 魅力を演出できればヴィンテージ航空機による(ショウ)ビジネスは可能では
 ないか。零戦は言わずもがな、YS-11の姿を見たい人は少なくないと思う。
 どなたかソロバン(計算尺と共に死語ですが、ここは敢えて、笑)を弾く
 奇特な御人は居らんぞや、などと考えてみるてすと。

 以前ブログで書きましたが、DC−3は今でもフライトできる所があるそうな。
 アフリカではいまだに輸送機として使われているという話も。
 そういうのを追いかける旅もいいかも。翼を味わう夢の旅。
 僻地への時差ボケに爆音の拷問がもれなく付いてくる、笑
 それこそブライトリングのナビタイマー1個ぐらいの値段で叶うのではない
 でしょうか。


  

 えっ 零戦の方の話はどうしたって? 
 メディアで取り上げられているので天邪鬼に割愛。その姿は感動的では
 ありましたが、できれば栄のエンジン音が聴いてみたかったですね。

 
 

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2017年5月13日 (土)

白い花

 
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 しかし私が寄り添わなくても、こうして我が家の蜜柑の樹に花は咲く。
 可憐という字を形にしたら、きっとこんな白い花弁になる。
 ほんの1週間ほどの命は短い。

 大きなミスジクロアゲハが、ふらふらふらと樹の周りを飛び回っている。
 羽を休め産卵する葉はとっくに決めているくせに、それでももっと素敵な
 若い葉を探し選り好みするように、思わせぶりするように。
 蝶と蜜柑の樹の間には、明らかにコミュニケーションがある。

 モンシロもジャコウもアゲハも、おおよそ蝶の振る舞いはシャイだ。 
 そしてある日、ひと夏を待たず役目を終えた後の蝶は、地面で大勢の蟻に
 取り囲まれている。
 最初に失くなるのはキラキラしていたはずの羽の部分で、みる影もない。
 蟻はただ奴隷のように忙しく動き回り、蝶とともに蟻もまた誰かに
 使い捨てられる。捨てられた蟻をまた動いている蟻が運んで行く。

 彼らの命の長さは必要以上にはプログラムされていない。
 けれど遺伝子というワンタイムのパスワードを繰り返し使うことで
 子孫は長く遠くまで行くことができる。
 自分たちの命を延ばそうとする、することができるのはヒトだけではないか。

 儚さを感じこそすれ、彼らにものの哀れさはない。
 約束通り、土へ還るからだろうか。
 花や蝶を美しいと感じるのは、ひとつは潔さにある。

 
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2017年3月31日 (金)

Spring Time

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 そんなわけで、今年も蜜柑の時期がきた。
 昨年よりもまた収穫の数が増え、250個以上は採れただろうか。
 ほとんど皮の黒ずみがなくて、出来が良い。豊作です。
 一日では採り切れず、2週に渡っての作業に首と肩が痛くなる。。

 週末の夜、これまた例年のごとくせっせとジャムを作る。
 今年のテーマは、「ジャムおぢさん4.0」
 煮詰める途中の灰汁の吹きこぼしの回数を1回多くして、
 苦味とエグ味が更に弱くなるように。皮を大きめに長く刻んで、
 砂糖を少なくして、軽く柔らかな、蜜柑そのものを食べているような
 味になった。ジャムのオープンイノベーションである。
 来年はクラウドに繋げる予定。なんのこっちゃ。

 母は亡くなっても、こうして春はくる。
 おそらくは自分がいなくなってもくる。いや、間違いなく。
 樹木の乍らかな営み。太陽と光合成。そして土壌の巨人、微生物は偉大だ。

 春になると思い出す話。
 桜の樹の下には屍体が埋まっている、と書いた梶井基次郎。
 すなわち桜の赤み掛る色合いは血の色によるものという。
 人々はその生命の色をみると遺伝子に刻まれた記憶によって
 血が騒ぎ、酒に酔い、踊り出し、最後はブルーシートにゲロを吐く。
 それは単なる飲みすぎか。。

 かつて我が家でビーグル犬を飼っていたことがある。
 訳あって生まれて5日目でうちへ来ることになって、まだ眼が
 見えていない日から10年、その後カミさんの実家に預かって
 もらうことになって、札幌に初霜が降りた日の朝まで5年。
 結局彼は15年を生きた。
 そして雪が溶け、春になってから、骨を庭の桜の樹の下に埋めて貰った。
 その桜の樹はカミさんが生まれた時に植えた記念のものだった。
 家族の一員として、その行いは今も善であったと思っている。

 私を蜜柑の樹の下に埋めてほしい。
 そう遺言に書いたら不謹慎だろうか。黄色人種だから、黄色味が増すかも。
 毎年の果実を増やしこそすれ、樹を枯らすことはない。
 そして初夏には白い花を届ける。約束する。

 そういえば、スペインにはブラッドオレンジという柑橘種がある。
 血塗られた歴史、フランコ政権時代の残滓の色かもしれない。
 ちがうな。。

 話が脱線しました、いつもか、失礼。
 いつの日か蜜柑の樹に寄り添えるその時まで、
 ベータ版であるジャムおぢさんが、毎年着実にアップグレードしながら
 ジャムぢいさんとして、幾久しく続きますように。


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2017年3月12日 (日)

うまのはなむけ

 親族が亡くなると、それから一年は喪に伏すことになる。

 伏す、というのは、ふせる・かくれる・うつむく、という意味がある。
 もう一方で、破れたところに他のものをあてて繕うこと、補綴(ほてつ)
 ともある。

 一年足らずで果たしてこころに空いた穴を繕えるものかどうか
 わからないけれども、いつまでも悲しみ暮らすわけにいかないから、
 時間を定めて設け、気のもちようを諭すのが仏教の慣しということになる。

 春夏秋冬、季節が一回りすることが一年で、仏教の一念とは一瞬の意識、
 一度の念仏の意味とか。

 花をたむける、の「たむける」とは、手向けると書いて神仏や死者の
 霊に供物を捧げる、とやはり広辞苑にある。
 古くは旅の平安を祈るためのものだったという。
 死は旅のひとつなのだ。
 また「たむける」とは餞別を送ることともある。
 餞別は「せんべつ」以外に「うまのはなむけ」と読む。

 私は旅が嫌いだ。
 レビィ・ストロースの「悲しき熱帯」には冒頭そんな言葉がある。
 旅のことを書いた紀行文だから、それはパラドクスなのだと
 これまで捉えていたのだけれど、この言葉を死が嫌いだ、と
 置き換えてみると違った視点が現れる。
 できるだけ死を考えずに済むように、遠ざけるため旅にでる。
 たった今(とりあえず)生きていることを実感できるように。

 なにも遠くに出掛けることが旅ではないだろう。
 一日一生という言葉があるけれど、一日を一生分と思い生きること。
 毎日の一日を、旅するように生きることで与えられた時間を豊かに
 できるものと受け取れる。なるほど。
 旅とは時間のことであるのだ。

 こんな昔の人からの言い伝えは大凡正しい。
 それってまさに時間を掛けて証明された集合知とも言える。
 信仰や宗教云々ではなく、習わしとしての言葉は多くは経験に基づく
 もので、常識という形でおおよそ昇華して信用に足るだろう。

 知といえば、人工知能の研究者マーヴィン・ミンスキーによると、
 常識とは苦しみの果てに身についた沢山の実用的な考え方からなる
 巨大な「社会」であるそうだ。。。
 なんだか良くワカリマセン。。
 こんな時は、逆に「非常識」の場合を考えてみる。と、
 非常識な人は社会から疎まれる。なるほど。
 そうとればミンスキーの言葉はスーパーコンピュータなんぞを使わずとも、
 我がヤマイだれの痴脳でもどうにか理解できる。
 一瞬では無理でも、なるほどを重ねて一年ぐらい時間をかければ。

 

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2017年3月10日 (金)

Lettre de jeunes

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 と、いうわけで帰りがけ、ミュージアムのエントランスに置かれた
 妙に大きくて分厚いに芳名帳に思うままこんなことを書いた。
 まるで子供の落書きみたいな汚い文字で。。。

 拝啓 ハンス・アルプ 様

 こんにちは。あなたのミュージアムにいよいよ来ました。
 中学の美術の教科書で、その作品とあなたの名前を知って以来
 長きにわたり気に留めてきました。
 竹橋の近代美術館にあなたの彫刻が常設で置かれているのが
 もっとも身近な作品だったでしょうか。
 あなたの創る奇妙な形や絵は、いつも人の顔や身体を想い起させ
 頭の奥底のどこかを不思議に刺激します。現代の脳科学や認知
 心理学で言えば、選択性反応ということになるでしょうか。
 ロンドンのウェストン・ギャラリーでそんなあなたのリトグラフを
 買い求めたのは2008年でした。
 コンステレーションのシリーズの一枚で、なぜその作品を選んだのか。
 それは3/10 ’59とサインが入っていたから。
 もちろんそれは1959年に作られ10枚刷られたうちの3枚目
 という意味ですが、私の誕生日が3月10日だったというコジツケ
 なのです。当時は1ポンドが200円近くしましたが、清水の舞台は
 私の為に用意されていました。
 あの日から、あなたの故郷であるこのライン川のレマゲンには
 随分と水が流れましたが、今日のこの日、ようやく訪れることが
 出来て私は幸せです。

 最後に日付とサインを書いた。
 この旅の機会を与えてくれたことに感謝を込めて。
 はたして、もう一度ここを訪れ、カフェからの風景を眺めることが
 できるでしょうか。この芳名帳を読み返したら、若気とかナルシー
 と思うかな、笑。どうでしょう。もう充分いい歳なんだけどね。。。

 若いうちに沢山の旅をしておくこと。そうしないと歳をとって
 から話すことがなくなる。
 民俗学者の宮本常一の本にはそんな風に書いてあったと思います。
 いつまでもこころに残る旅をしたいものです。

    

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2017年3月 3日 (金)

Twilight time

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 それでもって
 もしもこの先、あなたがハンス・アルプのミュージアムを訪れることが
 あったなら、是非カフェに立ち寄って下さい。
 その19世紀の半ばに建てられたという、旧い旧い駅舎の、天井の高い、
 そのかつての栄華を偲ばせ、時の流れというものに思い馳せられるカフェを。
 その時は、もしできれば夜の帳が降り始める薄暮の刹那に。
 このカフェから眺めるライン川は、この上なく美しいと思いました。

 旅好きで知られていた英国の風景画家、ウィリアム・ターナーは、
 ある時イタリアのフィレンツエを訪れてから、その作風が一変する。
 それまでは綺麗で写実的だったものが、その場の その一瞬にしかない
 アトモスフィア、雰囲気というものを描くようになる。
 大嵐や風や水しぶき、蒸気船や霧のなかを突進する機関車のもつ力感
 といったような。それは表現するというよりも、感性の絵の具を絵の中へ
 閉じ込めようとするような抽象的な感覚。
 暮れなずむトスカーナの風景の、その雰囲気の、刹那の肌理に
 きっと心打たれたのでしょう。
 はたして、ターナーが冬の夕暮れのライン川の姿を眺めることが
 あったのかどうか、わかりません。
 でも、どこであっても、どうあっても、ターナーのスイッチは
 やがて入ることになったのではないか。
 
 イタリアのボローニャに生まれたジョルジョ・モランディは、
 その生涯のほとんどをボローニャとその近郊で過ごし、イタリアを
 出ることがなかった。薄暗いアトリエで、身の廻りのありふれた花瓶や
 水差しといった静物と、身近な風景画を描くことに没頭して、やがて
 独特な静寂の世界を手にいれる。
 もしもモランディが、ライン川の静けさを眺めることがあったなら
 別の世界の扉を開けることが出来たのではないか。
 はたしてモランディが、それを望んだかどうか、やっぱり判りかねる
 のだけれども。

 そんなことをぼんやりと考える。こんなカフェの黄昏には時々。

 
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2017年3月 1日 (水)

Hans Arp Museum

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 そうなんです。ハンス・アルプのミュージアムです。
 建築はリチャード・マイヤーです。まーいーやーじゃ
 済まされないって話です(失礼)。

 ペーター・ツムトアとは違った意味での美しき美術館です。
 ガラスと鉄骨とコンクリート、白い箱、そして樹々の緑。
 奇を衒うことなく、分かりやすく整えられた美と言える。
 マイヤーによるバルセロナの現代美術館もそうでしたが
 このコンサヴァティブな分かりやすさは、ル・コルビュジェ
 やミースといった巨匠たちが作り上げた20世紀の建築規範に
 則しているからでしょうか。それはそのまま我々が慣れ親しんだ
 建築的な普遍美とも言える。
 
 ではありふれて退屈かというと、全くそんなことはなくて
 1856年(!)に建てられたというローカル線の駅舎の上に
 跨ぎ、切り立った山の斜面に沿った建築はこの場にしかなくて、
 ここもまた唯一無二。それだけで、ここが特別な場所である
 ことを充分に示しています。
 先にツムトアのことを書いたのは、ここもまた歴史の上に
 最新の手法で重ねられハイブリッドされた建築だからでしょう。
 
 最初のファサードから、トンネルの通路を抜けさせるというのも
 美の場所へ向かう儀式としての演出でしょうか。
 古めいた駅舎の外観からは中のモダンさが全く想像できません。
 こういう演出が出来難く、場所の制約がある(日本の都市部に
 多くみられるような)美術館はおおよそ一旦エレベーターで
 フロアの一番上まで行かせて(一度閉じられた空間に入る
 ことでマインドセットを整えて)から、順路に沿って降り
 ながら観て下さいというところが多く見られます。
 この美術館も途中にまたエスカレーターやエレベータがあって、
 フロアを移るというよりは展示のステージが切り替わるかのように
 出来ています。あたかも演劇の幕替わりが進むように。

 そしてこの美術館は、登り上がって行くそのステージごとに徐々に
 山の緑が深くなり、反してライン川を挟んだ風景が開けていく対比
 が素晴らしいと思いました。

 とどのつまり、ここはサイトスペシフィック、環境適応のアートであり、
 目指したのはハンス・アルプの生まれ故郷とその歴史、凝縮された
 時間へのリスペクトなのだろうと。
 リスペクトという言葉には、尊敬という意味に加え、祈りや信仰といった
 聖的な側面があるのではないか。そう思わせるほど周囲への気遣い
 が感じとれるのでした。


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2017年1月 3日 (火)

ATMOSPHERE

 
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 コロンバで感銘を受けたのは、建築と作品だけではありませんでした。

 訪れている人々の姿に、美術館建築の、あるべき姿を考えさせられたのです。
 美しいと思いました。彼らの姿、立ち振る舞いが。

 彼らは別段着飾っている訳でもなく、寧ろパリやロンドンの人達と比べたら
 野暮ったいぐらいでした(失礼)。
 彼らはただ美術館という空間の中で、作品と真摯に対峙しているだけだと
 いうのに。

 建築と作品と人々。三位一体という言い方が、適切かどうか分かりません。
 が、空間の中である種の調和を齎している。
 そして、美しさはその彼らの動きの中の「一瞬の間」と「平衡(バランス)」
 にあることが感じ取れるような。
 そう思うと、日本の茶室、茶道には「主客一体」「一座建立」という言葉が
 あります。
 稚拙な写真ながら、私の言わんとしていることが伝われば嬉しいのですが。

 これまでに、名建築と呼ばれる美術館をいくつか訪れてきました。
 が、そこにいる人々の姿に感銘を受けたのは初めてです。と同時に優れた
 建築に対するひとつの「ものさし」を見つけた思いです。

 太陽の下に新しいものはない。
 聖書のコリントへの手紙にはそう書かれていて、長くその意味が解りません
 でした。
 でも、歳をとった今なら、コロンバを訪れた後でならわかります。
 なるほど、太陽の下には新しいものはない。
 あるのは、新しい発見である、と。

 
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2017年1月 2日 (月)

KOLUMBA

 
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 コロンバ大司教区教会美術館は、ケルン市街の中心地にあります。

 はたして建築技法としては、セットバックという呼び方に入るのでしょうか。
 それは古い歴史建造物を、外観は残したまま後ろ側を最新の建築にリノ
 ベーションするものです。
 最近の東京でいえば、丸の内の郵便局、そして歌舞伎座。
 かつてベルリンを訪れた際、ブランデンブルグの議事堂やドイツ銀行本店
 (内部はフランク・ゲーリー!)でその技法を知りました。
 一旦更地にして、外観だけ残すのをハリボテ化粧と呼んだら怒られるで
 しょうか(失礼)。

 しかしペーター・ツムトアの手がけたコロンバは、そう単純なものでは
 ないようです。
 ローマ時代の公館の古代遺跡の跡上に、中世12世紀のレンガの教会跡が
 あり、その上にもうひとつ第二次大戦の空襲によって破壊された17世紀の
 教会跡がある。そしてそれらすべての上に現代美術館が覆い被さるように
 建つというもの。

 そのままケルンの辿った歴史がこの場所に、何世紀にもわたり建築として
 積み重なっているという。並のリノベーションとは歴史の厚みが違います。
 古代遺跡も中世の崩れた教会跡も、そのまま出来るだけ手をつけずに細心
 かつ最新の手が加えられている。ここには古代からたった今に繋がる、この
 ケルンのコロンバにしかない長い長い長い物語があります。

 建築の外観は、シックです。現代の美術館にみられるお約束な白い箱では
 ありません。重厚なケルンの街並みに溶け込むような淡いグレーが、ツムトア
 らしく素材の積層によって微妙なグラデーションになっています。
 あたかも丁寧に紡がれて綾織りされたツイードジャケットのよう。

 その外壁には地下の遺跡保護のためと思われる穴が幾つも開けられていて、
 これはスイスのクールで見た、ローマ遺跡のシェルターの通換気と同じ考え
 方でしょう。

 道路角に面した壁は、崩れた中世教会のレンガ壁を支え覆っていて、その
 内部は美しくリノベーションされ、勿論市民の教会として誰でもが自由に
 訪れることができます。そしてその礼拝の場の床や壁には、中世からのタイル
 がモザイクピースとして使われています。
 まるで人々の記憶の断片を拾い集め、丹念に繋ぎ合わせたみたいに。

 遺跡と美術館の入り口は、教会とは別に分かれています。
 遺跡を健全に維持するためにも、有料なのだと理解し納得しました。
 その遺跡の上には通路が掛けられ足元に古の生活跡が俯瞰できるように
 なっています。そしてそれらは手が届きそうで、届かない。
 絶妙な距離感を感じました。

 そして美術館に入って驚いたこと。
 遺跡の展示と美術館を仕切るカーテンが、革なのです。パッチワークされた
 なめし革。建築用ガラスでもなく、鉄扉でもない。
 カーテンの意味は、過去と現代の間は閉ざされてはいないことを意図して
 いるのでしょうか。

 それにしてもカーテンを使うのであれば大抵は布地、これがアジアならシルク
 でしょう。でも、ここは革、獣の革です。
 単なる素材の選択、組み合わせのひとつではなく、それは血を連想し、同時に
 欧州の歴史がもつ暗部を想起させます。
 生臭くてエロい革。その肌理と匂いは生命の残滓とも言える。

 神は細部に宿る。最初にそう思いました。続いてその幾頭も剥がれ繋がれて
 作られた革の選択、徹底的に考えられた仕掛けと演出に、かの黒澤明の言葉
 を思い起こしました。
 「天使のように大胆に 悪魔のように細心に」

 その思いを強くしたひとつが、美術館のフロアに上がった最初の展示物で
 それは足元に置かれた「奴隷」の描かれたローマ時代の壁画でした。
 そのまま顔を上げると左の壁にはキース・ヘリングの描いた黒人奴隷の絵、
 1970年代です。右の壁にはやはり奴隷の姿が描かれた宗教画、12世紀。
 そしてそれら全てを見下ろすかのように、キリストのイコン像が配置されて
 いました。

 壁画から宗教画、キース・ヘリングまでおおよそ900年程の時間差です。
 しかしてそれがほんの数メートル程の距離で凝縮され表現されている。
 そう理解し意識した途端、くらくらと目眩を覚えました。。

 自分の今立っている足下には悠久の歴史が、人々の営みが脈脈とあった。
 神話があり宗教が生まれ、栄枯があり盛衰があった。そこには奴隷による
 労働や搾取があり、そして現代に至っても続いている。
 その全てを神は見てきたのだと。

 そんなことは、展示のどこにも書かれてはいません。すべて私の解釈です。
 でも一目で解ります。見て解りなさい、ということなのでしょう。
 (本来、そうじゃないとおかしいです。博物ならともかく、美術作品に解釈の
 説明書きがあるのは日本だけではないか。名付けて「あぶないですから
 白線の内側までさがってお待ちくださいカルチャー」(ちと長いか))

 美術館としての展示は、その奴隷に関するものの他、大司教区教会として
 これまで収集してきた宗教的な古物に加え、現代アートのオブジェ、絵画、
 写真などが幾重の時の垣根を越えて組み合わせられ、言うなればハイブリッド
 されています。
 展示数はそう多くありません。けれどこのコロンバには、コロンバにしかない
 「時間に裏打ちされた本物」がある。展示物だけでなく、建築もまた一体化
 したアート、人が創造したもののひとつとして。
 この建築は、空間と時間の芸術なのだと思いました。

 美しくて綺麗な建築は、世の中に沢山ある。人目を惹くための建築は最近
 特に多い。でもコロンバのような感動する建築には、おいそれと出会わない
 ものです。この世に唯一無二、Like No Other.
 私は、ノックアウトされました。

 
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 遺跡も、そしてカーテンも写真をアップしません。
 何故って実際に訪れる人へのお楽しみです、笑。

 それにしても、十数世紀といえど時の流れは速く、目を離している隙に
 いつの間にかその姿を変えているという。ダルマさんがコロンバ、という
 オヤジギャクを考えましたが、ここでは書きません。書いてるかー

      

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