
西オーストラリアの海岸で、古いガラスのレターボトルが拾われた。
そんなニュースを読んだ。
発見者の地元夫妻は、その時を経たものだけが持つオーラをボトルに
感じとったのだろう、州の博物館へ届け出た。
そしてボトルの中のほとんど消えていた手紙の文字を考古学者が
解読すると、132年前にドイツの海流調査船の船上から投げられた
ものだった。この手紙を拾った人はここへ連絡してほしいとドイツ
領事館の住所が書かれていたという。
そして素晴らしいことに、ドイツの連邦海事水路庁の記録と航海日誌
がアーカイブとして残っていて、船の名前はPaula、海から投げた場所は
インド洋南東部、日時1886年6月12日、緯度経度、船長自らが海へ
投げ入れ、そして使われたボトルはオランダ製のジンのボトルとのこと。
そのレターボトルの全てが判明した。
http://www.bbc.com/news/world-australia-43299283
英BBCの記事によると、そのボトルが海に投げられて洋上を漂ったのは
約12ヶ月程だろうとのこと。69年間続いたというそのドイツの海流
調査船からは同様に数千のボトルが投げられ、これまで630本余りが
回収されたという。
その一本が西オーストラリア、パースの北の海岸に打ち上げられて、
砂に埋もれ、そのまま誰にも知られず132年の時を静かに過ごしたの
だった。
それで、この記事を読んで、もしもこのガラスボトルの手紙が、
誰かの個人的なメッセージであったならばと想像してみた。
このボトルの手紙を読んだ人へ、あなたの探している、あなたの
大切な人はたった今あなたの傍にいます。顔を上げ、ちょっと周りを
見廻してみましょう、と。私ならそんな風に書く。
その大切な人のことに気づいたら、その喜びをメッセージにして
また誰かに送ってください、と追伸を忘れずに。
誰にいつ届くかもわからない、でももしかしたら誰かが読んで
くれるかもしれない手紙。それを偶有の、時に地球規模の潮の
流れに任せてみるというのはどうでしょうか。
さて、それでは、ここで問題です。
たった今、この瞬間にスマートフォンで画像を撮っている人は、
世界中にどれくらいの数いるでしょうか?
例えばクラウド、雲の上に上げられたあなたの画像は、今から
132年後に見てくれる人がいるでしょうか?
仮にサーバーという形でデータが残っていたとして、さらに何億、
何兆といった夥しいアーカイブスの中から。
歴史に名を残すような人物のようなものであれば、そんなタグでも
付けられていれば、それはもしや陽の目を見るかもしれない。
例えば132年後にもグーグルは存在するでしょうか?
ツイッターやフェイスブック、インスタグラムはどうでしょう。
そんな問いの答えは、実は誰にも判らない。
何故ならば、海洋調査船上からボトルを投げた人は、132年後に
BBCのニュースになったり、こんな拙ブログがインターネットと
やらで極東の日本人の市井に書かれるとは、露ほどにも思っては
いなかっただろうから。
そのボトルが無事にオーストラリアの海岸にたどり着くことさえ、
予想は出来ていなかったはずなのです。
Tomorrow never knows. あるいは chaos.
しかしてたとえ海流調査であろうとも、ボトルを投げたこと、
ボトルが生き延びたことによって意味はもたらされた。
言うならば、時間の持つ力を獲得したのでしょう。
ヒトの寿命は、かつて50年程だった。今は100年に徐々に届こうと
している。おそらくはメディア、ヒトが人間へ伝える情報の寿命も
それに伴いこれからは延びてゆくのでしょう。
例えば伊勢神宮の式年遷宮は、儀式を伝えるために20年に一度の
必要があった。ヒトひとりが生きているうちに、2、3回の経験と他の
人間との情報のシェア、共有が必要だったと思うから。
昭和天皇が崩御された時、その儀式を身を以て覚えている人が
至極少なかったことは、まだ記憶に新しい。
大正時代が短か過ぎたためだ
そう考えると、市井の声であろうとも、拙ブログを細々とでも
書き続け、誰かの為に残すことにやがて意味がもたらされる。
そう思いたい。ブログとは手紙のようなものなのだから。
今日あなたの撮ったスマートフォンの画像も、やがて21世紀
初頭の風俗を伝えることになるのでしょう。データが消滅せず、
地球という惑星がその時にも存続する前提で。
そう強く、強く、願いたい。