2017年1月 3日 (火)

ATMOSPHERE

 
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 コロンバで感銘を受けたのは、建築と作品だけではありませんでした。

 訪れている人々の姿に、美術館建築の、あるべき姿を考えさせられたのです。
 美しいと思いました。彼らの姿、立ち振る舞いが。

 彼らは別段着飾っている訳でもなく、寧ろパリやロンドンの人達と比べたら
 野暮ったいぐらいでした(失礼)。
 彼らはただ美術館という空間の中で、作品と真摯に対峙しているだけだと
 いうのに。

 建築と作品と人々。三位一体という言い方が、適切かどうか分かりません。
 が、空間の中である種の調和を齎している。
 そして、美しさはその彼らの動きの中の「一瞬の間」と「平衡(バランス)」
 にあることが感じ取れるような。
 そう思うと、日本の茶室、茶道には「主客一体」「一座建立」という言葉が
 あります。
 稚拙な写真ながら、私の言わんとしていることが伝われば嬉しいのですが。

 これまでに、名建築と呼ばれる美術館をいくつか訪れてきました。
 が、そこにいる人々の姿に感銘を受けたのは初めてです。と同時に優れた
 建築に対するひとつの「ものさし」を見つけた思いです。

 太陽の下に新しいものはない。
 聖書のコリントへの手紙にはそう書かれていて、長くその意味が解りません
 でした。
 でも、歳をとった今なら、コロンバを訪れた後でならわかります。
 なるほど、太陽の下には新しいものはない。
 あるのは、新しい発見である、と。

 
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2017年1月 2日 (月)

KOLUMBA

 
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 コロンバ大司教区教会美術館は、ケルン市街の中心地にあります。

 はたして建築技法としては、セットバックという呼び方に入るのでしょうか。
 それは古い歴史建造物を、外観は残したまま後ろ側を最新の建築にリノ
 ベーションするものです。
 最近の東京でいえば、丸の内の郵便局、そして歌舞伎座。
 かつてベルリンを訪れた際、ブランデンブルグの議事堂やドイツ銀行本店
 (内部はフランク・ゲーリー!)でその技法を知りました。
 一旦更地にして、外観だけ残すのをハリボテ化粧と呼んだら怒られるで
 しょうか(失礼)。

 しかしペーター・ツムトアの手がけたコロンバは、そう単純なものでは
 ないようです。
 ローマ時代の公館の古代遺跡の跡上に、中世12世紀のレンガの教会跡が
 あり、その上にもうひとつ第二次大戦の空襲によって破壊された17世紀の
 教会跡がある。そしてそれらすべての上に現代美術館が覆い被さるように
 建つというもの。

 そのままケルンの辿った歴史がこの場所に、何世紀にもわたり建築として
 積み重なっているという。並のリノベーションとは歴史の厚みが違います。
 古代遺跡も中世の崩れた教会跡も、そのまま出来るだけ手をつけずに細心
 かつ最新の手が加えられている。ここには古代からたった今に繋がる、この
 ケルンのコロンバにしかない長い長い長い物語があります。

 建築の外観は、シックです。現代の美術館にみられるお約束な白い箱では
 ありません。重厚なケルンの街並みに溶け込むような淡いグレーが、ツムトア
 らしく素材の積層によって微妙なグラデーションになっています。
 あたかも丁寧に紡がれて綾織りされたツイードジャケットのよう。

 その外壁には地下の遺跡保護のためと思われる穴が幾つも開けられていて、
 これはスイスのクールで見た、ローマ遺跡のシェルターの通換気と同じ考え
 方でしょう。

 道路角に面した壁は、崩れた中世教会のレンガ壁を支え覆っていて、その
 内部は美しくリノベーションされ、勿論市民の教会として誰でもが自由に
 訪れることができます。そしてその礼拝の場の床や壁には、中世からのタイル
 がモザイクピースとして使われています。
 まるで人々の記憶の断片を拾い集め、丹念に繋ぎ合わせたみたいに。

 遺跡と美術館の入り口は、教会とは別に分かれています。
 遺跡を健全に維持するためにも、有料なのだと理解し納得しました。
 その遺跡の上には通路が掛けられ足元に古の生活跡が俯瞰できるように
 なっています。そしてそれらは手が届きそうで、届かない。
 絶妙な距離感を感じました。

 そして美術館に入って驚いたこと。
 遺跡の展示と美術館を仕切るカーテンが、革なのです。パッチワークされた
 なめし革。建築用ガラスでもなく、鉄扉でもない。
 カーテンの意味は、過去と現代の間は閉ざされてはいないことを意図して
 いるのでしょうか。

 それにしてもカーテンを使うのであれば大抵は布地、これがアジアならシルク
 でしょう。でも、ここは革、獣の革です。
 単なる素材の選択、組み合わせのひとつではなく、それは血を連想し、同時に
 欧州の歴史がもつ暗部を想起させます。
 生臭くてエロい革。その肌理と匂いは生命の残滓とも言える。

 神は細部に宿る。最初にそう思いました。続いてその幾頭も剥がれ繋がれて
 作られた革の選択、徹底的に考えられた仕掛けと演出に、かの黒澤明の言葉
 を思い起こしました。
 「天使のように大胆に 悪魔のように細心に」

 その思いを強くしたひとつが、美術館のフロアに上がった最初の展示物で
 それは足元に置かれた「奴隷」の描かれたローマ時代の壁画でした。
 そのまま顔を上げると左の壁にはキース・ヘリングの描いた黒人奴隷の絵、
 1970年代です。右の壁にはやはり奴隷の姿が描かれた宗教画、12世紀。
 そしてそれら全てを見下ろすかのように、キリストのイコン像が配置されて
 いました。

 壁画から宗教画、キース・ヘリングまでおおよそ900年程の時間差です。
 しかしてそれがほんの数メートル程の距離で凝縮され表現されている。
 そう理解し意識した途端、くらくらと目眩を覚えました。。

 自分の今立っている足下には悠久の歴史が、人々の営みが脈脈とあった。
 神話があり宗教が生まれ、栄枯があり盛衰があった。そこには奴隷による
 労働や搾取があり、そして現代に至っても続いている。
 その全てを神は見てきたのだと。

 そんなことは、展示のどこにも書かれてはいません。すべて私の解釈です。
 でも一目で解ります。見て解りなさい、ということなのでしょう。
 (本来、そうじゃないとおかしいです。博物ならともかく、美術作品に解釈の
 説明書きがあるのは日本だけではないか。名付けて「あぶないですから
 白線の内側までさがってお待ちくださいカルチャー」(ちと長いか))

 美術館としての展示は、その奴隷に関するものの他、大司教区教会として
 これまで収集してきた宗教的な古物に加え、現代アートのオブジェ、絵画、
 写真などが幾重の時の垣根を越えて組み合わせられ、言うなればハイブリッド
 されています。
 展示数はそう多くありません。けれどこのコロンバには、コロンバにしかない
 「時間に裏打ちされた本物」がある。展示物だけでなく、建築もまた一体化
 したアート、人が創造したもののひとつとして。
 この建築は、空間と時間の芸術なのだと思いました。

 美しくて綺麗な建築は、世の中に沢山ある。人目を惹くための建築は最近
 特に多い。でもコロンバのような感動する建築には、おいそれと出会わない
 ものです。この世に唯一無二、Like No Other.
 私は、ノックアウトされました。

 
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 遺跡も、そしてカーテンも写真をアップしません。
 何故って実際に訪れる人へのお楽しみです、笑。

 それにしても、十数世紀といえど時の流れは速く、目を離している隙に
 いつの間にかその姿を変えているという。ダルマさんがコロンバ、という
 オヤジギャクを考えましたが、ここでは書きません。書いてるかー

      

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2017年1月 1日 (日)

あらたなとし

 新年を喪に服して迎える。
 世の中と同期するかのように大きな変化の渦にいた昨年。
 母が亡くなって、やらなければならない波が一気に押し寄せた。
 津波のようにもしや高台にでも逃げられれば良かったけれど、
 そいつは誰にも避けられず、しかし誰にも向き合うように出来ていた。
 親の死など、なかなかこないだろう明日の事として、ただ怠けていた。

 四十九日から百箇日と初盆。
 一息ついた夏頃にはどうにか自分を取り戻せたかのように思えていた。
 しかしながら秋が過ぎて、冬の始まりに己の歳を重ねおもう。
 世の中の春は再び巡ってくるだろう。
 
 欧米もアジアも日本も、激動の一年だった。
 英国のEU離脱執行、米次期大統領就任、韓国大統領退任、仏大統領選、、
 核軍縮は進むか、テロは日本でも起こるか、経済戦争は更に進むだろう。
 今年対岸で起こる大地震が、極東の市井の浜へどれほど影響を及ぼすのか。

 あらためて、というのを英語では over again と表現する。
 未来には何か起こるか、誰にもわからない。
 しかし今年は、昨年より更に多くの変化が起こるということ。
 again は常にこれまでを over して起こるものだと考えれば。

 人は常に今を生きることしかできない。
 少しでも、小さくても良いので、幸せなことが起こる一年でありますように。

 2017年 元旦  UMAGURUMA


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  @Pumplona, SPAIN


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2016年7月10日 (日)

Ecce homo

  Ecce homo この人を見よ。

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 おめでとう、恵まれた女性よ。主はあなたとともにおられる。


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 太陽の下に新しいものはない。


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 主の名によって来る者は、祝福される。

 以上は全てルカによる福音書より引用。

 

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2016年7月 9日 (土)

Bruder Klaus Church

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 そんなわけで、ケルン郊外。
 ペーター・ツムトアのブルーダー・クラウス礼拝堂を訪れる。

 不便なところにあります。ケルン市街からアウトバーンA1乗って、
 最寄りのリスドルフ村まで行って、村外れの駐車場にクルマを駐めて、
 最後はてくてくと畑道を丘陵の上まで歩く。
 結局ケルンから2時間近く掛かりました。

 でもそのちょっとした道程の不便さが、外から訪れる者へ
 ここが特別な場所であることを表しています。
 それはそうです。本来は観光施設でも村興しでもない、地元住民のための
 建築、祈りのための野外礼拝堂ですから。

 よく晴れた欧州のキンと寒い冬空の下、畑道を歩きながらかつてスイスの
 山奥、同じペーター・ツムトア設計のスンヴィトゥ・カンパディアルス村の
 サン・ベネディクト教会を訪れた時のことを思い起こしていました。

 なんでもが便利になった現代、インターネットの登場とその進化によって、
 家を出なくても生活に必要なほとんどのものが入手できるようになりました。
 外へ出かける頻度とその理由、生活に変化が起こっているのでしょう。

 外へ出て、あらためて祈りのための場へ向かうこと。
 そのことがどれほど人の振る舞いとして訴求するものか。
 宗教心とは、言うなれば日々の生活の中に問われる「頑なさ」だと
 思いました。
 道程の不便さとは、まさにその儀式と呼べるものなのかもしれません。

 建築は思っていた通り、ツムトアらしいものでした。

 コンクリートと鉄扉、そして内部の採光を兼ねたガラス玉。
 素材そのものは建築用材料としてごくありふれたものです。
 でもツムトアの手に掛かると、それらは元々の自然に還されているか
 のように形を成すのでした。
 
 中に入ると壁面のコンクリートは粗く、人の手によって波状に掻き落と
 されています。微妙に赤色が付いていて、おそらく地元の土でも混ぜて
 いるのでしょう。人工物にもかかわらず、その肌理の粗々しさが自然の
 洞窟を模倣しているかのよう。そして壁面に埋め込まれた沢山の
 ガラス玉が、天から降る雨粒を想起させます。

 その内壁の粗さと、外から眺める端正なコンクリート建築との較差。
 まるで何処かの縦長の自然洞窟を切り出し、その形に合わせた外壁を
 シェルターにして覆っているかのように見えるのでした。

 簡素な十字架、トルソーのブロンズ彫刻とベンチ、キャンドル台。
 そこに壁面から場違いと思わせるハンドルが突き出しています。
 その存在は現代アートを想わせるもので、視る者に何かを問うように
 出来ているようです。

 もう一つ、この建築の特徴の一つに、外との繋がりがあります。
 ここは屋根がなく天空に抜けていました。光や雨が直接空から礼拝堂の
 中央へ降り注ぐようになっています。一方で前述したガラス玉の雨粒。

 それらを解釈するならば、礼拝の場とはヴァーチャル(ガラスの雨粒、
 それを通してみる外界)とリアル(本物の雨と天空の光)の出会う場所、
 すなわち神という仮想と自然の現実が、日常の祈りという行為によって
 結びつく所ということ。

 演出という言葉を使うと、嘘やまやかしのように聞こえます。が、
 ツムトアのそのアイディアは決して奇を衒うことのないものです。
 そう感じる理由は、大教会のようなお金の掛かった華美な装飾
 ではなく、ここがありふれた素材を使った、人の手の無垢な仕事に
 よるものだからでしょう。
 何よりもその朴訥さに「許し」があり、「救い」がある。

 来る途中の畑道で見掛けた、犬を連れた地元の村人らしきご婦人が
 礼拝堂に入ってきます。
 散歩の途中の、日々の振る舞いとしての祈り。
 村人達が毎日灯すであろうキャンドル、そして静かな祈りの姿。
 頑なさと静けさは同義なのかもしれません。
 
 しかしたとえ祈りを捧げても、神は何もしてくれません。
 ただそこに、信じる人の傍にいるだけです。
 同じように、建築もただそこに在るだけで善いのだと思いました。

 
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 内部は撮影禁止。 この1枚お許しを。
 ちなみにトップの写真、気づかれましたでしょうか?
 大空に飛行機雲の十字架です。神は時々サプライズをくれるのかも。
 本当に訪れる者だけに。

   

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2016年7月 8日 (金)

vivre sonorité

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 ケルン駅で知人と別れた後、高速列車でパリへ戻り、11月にテロ事件が
 あったライブハウス、バタクランを訪れた。

 地下鉄では時おり銃を構えた武装警官が乗り込んできて、張り詰めた
 空気になる。乗客の誰もが無口だ。

 立入禁止のテープが何重にも張られた店の前は異臭がする。
 そして道路を挟んだ向かいの公園には手を合わせ花を供える人々の姿。
 巻き込まれたと思われる故人の写真があり、落書きもまた多い。

 パリのテロは、最初に仏メディアがイスラム教を侮辱したことへの報復
 としてサッカー場、カフェ、ライブハウスという市民文化の場が襲われた。
 自分の愛する街や場所が破壊されたら、一体どんな気持ちになるか。
 例えばこれがもし東京や京都だったらと想像できるだろうか。

 ライブハウスの近くにはリパブリィーク広場があって
 ここにも夥しい数の花や遺品が飾られている。

 そしてこの広場には多くの難民達がダンボールを地面にひき
 露天で生活している。ありったけの服を着込み、越冬に耐える渡り鳥の
 群れのように肩を寄せ合っている。その数、50人はいるだろうか。
 雨の日は地下鉄の通路へ入るようだ。

 欧州に命辛々渡ってきた難民の彼らは、好んでこの場所にいるわけ
 ではない。彼らも生きるために祖国を離れざるを得ない被害者なのだ。

 無邪気な難民の子供達は広場を走り回り、少女は通行人を見つけると
 何かを訴えながら手をさし出してくる。
 言葉はわからなくとも、その表情で何が欲しいのかわかる。
 思った通り、それはそうだろう。

 でも少女にお金を恵むわけにはいかない。一人に渡したら我も我もと
 取り囲まれることになるだろう。
 首を振るとすぐに離れていく少女。冷たくされるのはもう慣れっこ
 なのだ。

 ふとホテルのレセプションで貰った飴がポケットにあったのを思い出す。
 追いかけて声を掛け、振り向いた少女に手渡す。
 そしてその瞬間の、少女の溢れんばかりの笑顔に胸を打たれた。
 たかが飴玉のひとつに、渡したこちらの方が恐縮してしまう。
 もうしわけない。今の私にできることはこんな程度なのだ。

 そしてそのことが本当に痛いほどわかった。少女が求めているのは
 お金などではないことが。

 でも、パリはきっと大丈夫。悲しみを乗り越えられる。
 難民達は冬を越えて、安息の日をいつか得られる。
 ホテルに戻ろうと、地下鉄のレス・アレス駅で乗り換える時、
 オーケストラの音が聴こえてきて、そう思った。

 この楽団も、川のように流れ行く人々も、映画のエキストラなど
 ではなくて、毎日を生きているリアルな人間達である。
 黒い人、白い人、少し黒い人、金色の髪、赤い肌、黄色い人。
 ヘラクレイトスの言うように、人は同じ川に二度入れない。
 ざわめきのなか、生まれては消えてゆく音のように、もう二度と
 この場所でこの人達はすれ違うことはない。そしてこの私も。

 パリの街は生きている。生きて流れている。これまでと
 何一つ変わらない態度でしっかりと。
 パリは大丈夫。何故ならば人には、限られてはいるけれど
 時が与えられ、そして自らが創り出した音楽があるから。

 なんびとも、生きるざわめきの音をとめることは出来ない。


 

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2016年7月 3日 (日)

未来社会

 Evernoteの整理と共に、棚卸し。

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 この年末年始、再びパリを訪れて、そして晦日にケルンへ移動。
 元日はドイツで迎えました。

 当初はずっとパリにいるはずだったのですが、旅の連れ合いの要望で、
 テロの起こった場所を避けたいとしてケルンに変えたのでした。
 ケルンには近郊も含めて見たかった建築と美術館があって私は承諾。
 欧州は今どこへ行っても危ないから同じだよ、と言いながら。

 ご存知の通り、大晦日の夜にケルンで北アフリカやアラブ系の難民達に
 よる集団暴行事件がありました。

 大晦日は凍えるような寒さで、食事をした後早々にホテルに戻り、
 窓からケルン大聖堂と花火を眺めました。あの花火の下でまさか
 そんなことが起こっていたとはつゆ知らず。。。

 結果的に難は逃れましたが、もしもあの夜、あのまま外にいたならば
 暴動に巻き込まれていたかもしれず。であれば被害者を助けることも、
 もしや連れの知人を守ることも出来なかったでしょう。

 このブログでも時々、日々是気になることのひとつとして欧州の難民の
 ことを書いています。
 何の因果なのか、パリのテロを嫌って避けようとしたがゆえに、よりに
 よってそんな爆心地に踏み込んでしまうとは。。。

 ちなみにその連れの知人とは、昨年の暮れにはイスタンブールで
 現地集合しています。嵐を呼ぶのは石原裕次郎(ちと古いか)ですが、
 我々が行く旅先はなぜかテロと暴動が起こるところかも、というのは
 笑えない冗談になりました。

 そういえば、犬も歩けば棒にあたる、という格言があります。
 本来のいろはカルタでは、江戸時代の階級制度(士農工商)に基づいて
 いて、用もないのにうろうろしていると犬だって棒で追い払われる。
 外になど出ずに、おとなしく何事もなかれで過ごすのが「生きるための
 知恵」という意味だとか。

 でも、犬のように出歩かずとも、対岸から嫌でも火の粉は飛んでくる
 という話。

 今回の事件によって、欧州のEU各国は難民に対してドアを閉めようとして
 います。そして彼らにより良い居場所と思われている英国はEUを離脱しよ
 うとしていて、やがては行き場を失うでしょう。するとEUに入れなかった
 ような(治安上問題のあるとされる)彼らが次に目指す先は米国、そして
 アジア。
 なかでも少子高齢化で労働力を欲していて、オマケに治安の良い日本の
 ような国は、都合の良い行き先の候補と言えるのではないでしょうか。

 経済優先を一つ覚えのように繰り返し掲げるアベノミクス。
 日本は2014年に主に経済上の国策として毎年20万人の移民労働者を
 受け入れるという検討を始めました。

 先進国連合として当初の人道的プライドを捨てて国家市民の治安と
 雇用を優先しようとするEU。今回の懸念されていたような事件と欧米の
 対応を見て、果たして日本はどう動くのでしょう。
 (確固たるプリンシプルがないのを承知前提だから、日和見の国のことを
 こう書くしかないですね)。

 難民たちにEUの中でイギリスが好まれた理由は英語圏だから。
 日本で働くには日本語という壁があって、それが海外に出て行く障壁にも
 なっています。でも逆に言えば言葉が防波堤にもなる(なっていた)ので
 しょう。但これからはもう想定以上の津波は来ない、とは言えないでしょう。

 20世紀は2度の世界大戦があった、いわば戦争の世紀でした。
 21世紀は911で幕をあけて、15年が過ぎた今、どうやらテロと紛争の
 世紀といえそうです。加えて地球規模の甚大な自然災害、サイバーとリアル
 世界共にウィルスによる脅威。

 かつて世界は狭くフラットになったと書いた人もいたけれど、
 一方でエントロピーが肥大していることは間違いなさそう。
 そしてその急速な肥大によって地球はどこか歪み始めている。
 それは市井であっても感じること。

 人は生まれた時代と国家に逆らうことができない。
 戦争はいわずもがな、テロ、紛争、経済、ツケがくるのは結局いつも
 市井の国民ですね。

 それでもって大晦日、ホテルのTV。
 年越しのカウントダウン番組を見ていたら、ベルリンのブランデンブルグ門の
 群衆の様子が映し出されていて、窓の外のケルンの花火と大聖堂との対比、
 パラレルワールド的な感覚に惹かれてビデオに収めました。

 残念ながら番組のBGMで流れていた曲が著作権に触れたようで、
 アップロードした途端にyoutubeからクレームが来て、強制でミュートされて
 しまいました。

 しかしながら、逆にその音のない静かな映像に、リテラシーを問われながら
 雁字搦めになり、声の出せない未来社会を想うのでした。


 


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 このブログ記事は欧州の旅から戻った後の1月に書きました。
 動画をアップした途端、5分も経たずにクレームでミュートされるケチが
 ついて、、これまで放っていました。

 その後、ケルンの事件を発端とした移民問題はEUを分裂寸前にまで
 追い込み、ご存知の通り英国は国民投票による離脱を決定。猶予がある
 とはいえ、いまだ激震は続いています。

 この一年、今年前半を振り返るだけでも大きな変化です。
 我々はたった今、今世紀初めの激動の時を生きているのだと、あらためて
 認識せざるを得ないのですね。

 そしてもう一つ
 とんでもねぇ移民が土足でやってくるのを防ぐために、何の手立てもない
 のかああっっ  というとそうでもなくて、米国が導入を検討しているのが
 ロンブローゾ・プログラム(Cesare Lombroso :犯罪人類学の父と呼ばれる
 人の名前がついている)という犯罪者の早期発見システム。
 いわゆる「プリコグ」と呼ばれるものです。

 映画「マイノリティレポート」には、犯罪予知の特殊能力を備えた霊能者が
 SF的に描かれていましたが、現実的なロンブローゾ・プログラムの場合は
 そもそも犯罪を起こす因子の有無を脳のスキャン画像とDNA検査といった
 生体情報から得ようというもの。
 勿論犯罪者の脳とはどういうものなのか、そのDNAはといったデータの
 解析と蓄積、確固たる統計エヴィデンスがあって成立します。
 そしてその判断を行うのはAI。

 従来は犯罪歴のデータから再発を推測する、言うなればパッシヴなもので
 したが、ロンブローゾは生来性犯罪者のレッテルを未然なうちに貼ってしまう
 アクティブなもの。そしてそのテストを難民に限らず国民全員に義務付ける
 というプログラム。
 そんなプリコグのやり方が社会を守る上ではたして最良の選択なのか、
 それはわかりません。でも例えば米国とメキシコの国境に万里の長城を作る?
 というアホな(失礼)政策よりは余程リアリティがある。

 例えばたった今、入国時での指紋や顔の登録といった個人認証程度でも
 拒否する権利はあります。
 しかし背に腹は代えられない、と国策ではなく市民レベルでロンブローゾ
 のようなソリューションが支持されるような日が、、そう遠くないやがて
 訪れる気がしてみるてすと。未来の管理社会を思えば尚更。

 振り返ればケルンの出来事は、今という未来への予兆でした。
 そして再び、例えば10年と言わず、5年後に振り返った時に、このことが
 人々の間にどう認識、記憶されているでしょうか。

 
     

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2016年5月 3日 (火)

one of these nights

    
一日目の仕事を終えてホテルの部屋に戻ると、ベッドサイドのテーブルに
小さなメモ紙があって、手書きのメッセージが残されていた。

 Thank you for choosing our hotel.
 enjoy your stay.

都市部の高級なホテルであれば、支配人のウエルカムカードが置かれて
いることはある。おおよそがサインすら印刷されている程度のものだ
けれども。
でもここはテキサスの片田舎、オースティンのロードサイドで、会社の
出張規定の予算内に収まるミドルクラスのチェーンホテルなのだ。

おそらくベッドメイクをした女性のメイドがメモを残したのだろう。
気の利いた計らいに感心しながらも、今朝部屋を出る時ベッドサイドに
チップを置いておくのを忘れたことを思い出した。

といっても私が置くのは1ドルだけれど、そのメモの名前から察するに
おそらく南米、プエルトリコかメキシコ辺りから来ただろうメイドに
とっては、小さなチップを積み重ねることが日々の大切な収入になる。

チップを忘れないで、よろしくね。もしかしたら、そのことを遠まわしに
メモで表したのかもしれないと思った。

そして次の日の朝、その小さなメモ紙の余白にホテルのボールペンで
Thank you! と書き込み、それから忘れずに毎朝1ドルをベッドサイドに
置いた。

案の定、それから2晩はメモがなかった。

 How’s your stay?
 I hope to have a good day.

前回のメモと同じ字体だった。今度は名前の代わりに絵文字の顔が
描かれている。丸いボウルの中に2つの点の目と笑顔の口。
おそらくホテルには何人かのメイドが働いていて、今日が彼女の
当番日だったことが察せられた。そして同時にそのメモがチップ
目当てのものなどではないだろう、ということも。

私は再びボールペンを取り

 Thanks! you too!

そう余白に書いて残した。

日をおいた次の3度目のメモには

 Let us know if you need anything!

とあった。毎日バスルームに置かれる紙の小箱に入ったニュー
トロジーナの石鹸もシャンプーも、至極簡素だけれど私には好感の
もてるもので、勿論部屋のメイキングはパーフェクトだった。

 Nothing, Fine!

すぐにそう書いて、そして、それは最後の夜だった。

出張が一週間に及んで、かなりストレスも身体の疲れもたまっていた。
おおよその荷物をパッキングし終わって、そして明朝ようやく帰路に
つけるという気の緩みと安堵感もあったと思う。
随分と久しぶり、その夜の寝入りばなに、金縛りに掛かった。
金縛りの経験のある人は少なくないだろう。

薄暗いなか部屋の天井が見えた。
最初にベッドの左脇に現われた大きな影が、身体を押さえつけてきた。
そしてもうひとつの影が右に現れ、大きな白いシーツを被せてきて、
その上からロープのようなもので首を絞めてきた。抵抗できなかった。

あぁこれは金縛りだ、と。意識の海の、夢の旅の途中なのだ、と
判っていても身体が押さえつけられ、喉が苦しくなってきた。
息ができず、絶えられなくなってきて、夢かうつつかの判断を迫られて
いるなかで、そして思い切り大声を出してベッドから跳ね起き、その
縛りから開放された。

それがどのくらいの時間だったのか判らない。
縛りから解放された時は呼吸が粗く、心臓がバクバクと音を立てていた。
意識が無事に復元され、世界は再び自分の現実のものになった。

何の確証も、勿論記憶にもないのだけれど、この世に生まれた瞬間は
もしやこんな風に、呼吸も心臓も大きく波打っていたのではないか。
そう思えた。

やがて嵐のような荒波が収まるとトイレに立ち、さっきまで苦しんでいた
はずのベッドに戻り、ゆっくりと深く呼吸をする。すぐに寝付くことが
できて、それからは凪の航海だった。

そしてまだ暗いうちiPhoneの目覚ましに起こされた。朝食なしで
チェックアウトして空港に向かわなければいけない。でもその前に
急いでボールペンを手にとって、デスクの新しい紙にメモを残した。

 I felt someone's shadow while sleeping last night
 that came into my dream.
 Does someone failed here so far?

someone killedではストレートすぎ、fatal では過失事故になる。
failedでうまく伝わるだろうか?
この部屋のこのベッドで、かつて不幸なことが起こっていないことを、
メモのメッセージは、もしやメイドからではなく、かつてこのベッドで
絞殺された人からのものではないことを願いながら。

ノーベル賞作家のアナトール・フランスによると、夢とは忘れられた人々や
事柄が、その忘却を怨み、復讐として睡眠中に立ち現れることだという。

金縛りは、いったい英語で何というのだろう。
夜明け前の高速道路を走りながら、空港に着いたらWiFiに繋ぎ調べて
みようと思った。


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P.S.
タイトルのone of these nights はイーグルスの「呪われた夜」から拝借。
金縛りはsleep paralysis と言うそうです。


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2016年5月 1日 (日)

TEXAS

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3月、会社の出張でテキサスへ行った。

ちょうど誕生日の午後に成田を発ち、時空を超えて米国で
もう一度誕生日を迎えることになって、1日で2つ歳をとった気になった。
誕生日がハッピーなものとするならば、それは得をしたのか、それともただ私が馬齢を重ねただけなのか、さっぱり分からない。

乗り継いだヒューストンのジョージ・ブッシュ空港はとんでもなくデカかった。
それでも隣のダラス・フォートワースに次いでテキサス州では2番目の大きさ
という。ユナイテッド航空のハブ空港でもあるし、空軍とNASAのジョンソン
宇宙センターにも近接しているぐらいだから当たり前か。

テキサスでデカイといえば、ICチップや半導体の巨人、テキサス・インストゥル
メンツがある。その前身、ルーツは地形測量のGSIで創業は1930年に遡る。
最初は地震検査計の信号を使った装置で油田探索を行っていたとか。
デカい金蔓の油田を探すために小さな信号を扱っていたのだ。
その後テキサス・インストゥルメンツ社になってからIC、すなわち現代のITに
つながる電子集積回路の基本特許が発明されたのが1958年。ほぼ私と
同じ歳じゃないか。
デカい基盤を小さくすることで世界を変えた。いや、小さいものを集めて
積んで、小さいまま大きなことが出来るようにしたのだった。

それ以降米国の航空機や、アポロ計画のロケットも小さなICのチカラがあって
大きく飛ぶことができた。同時期のソビエトのルナ計画が安定性に欠けた
のは電子機器の小型化への遅れと品質がその要因のひとつと聞いた。

半世紀以上がたった今は、小さい方はナノサイズが当たり前になって、誰もが
手にして電話ができる程になっている。遠くへは人類が火星に行けそうなぐらい
になった。いや、わざわざ行かなくても火星のいろいろなことが地球にいても
手に取るようにわかるくらいになった。

大きなものを見ていると、気も大きくなるせいだろうか、小さな一人の人間の
歳など、ひとつぐらい数え間違いがあっても大したことではないと思い直した。
どうやら歳をとることで、どうでもいいと思えることが増えてくる。
でもそれって利点なのか、難点なのか、ひとつ多く歳をとったぐらいでは
よくわからない。

    

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 上写真はジョンソン宇宙センター。アポロ計画で使われた13号棟司令室。
 苦節47年、ようやく訪れることができました。
  
   

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2016年4月30日 (土)

49 days

 母が亡くなって、四十九日が過ぎた。

 10も歳の離れた姉と久しぶりに話していると、
 母のようなごくごく身近な存在であっても、自分の知らなかった話が
 渾々と湧き出し、まるでマルセル・デュシャンの泉のごとく過去の理解と
 認識を容赦なく塗り変えてゆく。

 それらは母の思い出という形で美しく、あるいは醜く、多少は事実が
 歪曲されていたとしても、ゆく川のながれに過ぎ去ったものとして
 時に笑い、眉を顰め、そしておおよそは逸話として受け入れ最後は許される。

 春はあけぼの ようよう来たりて過ぎゆく 山ぎわ すこし明りて

 まだ葬式も済んでいないうち、会社にでて仕事をしていたら同僚に驚かれた。
 就業規則で喪主の場合は五日間の休みを「許されて」いるという。
 仕事をしていた方が、川のながれを気にしなくて済むからと、誰に話すでも
 ない最もらしい言い訳を考えた。
 いつの間にか川面が遠ざかり、視線が届かないところまで霞み行けば、
 諦めに似た思いが立ち上がるだろうなどと。
 いつの間にか現れた雲は光を弾き、不意に速さを変え、そしてちぎれると
 二度と元には戻らない。

 やれ届出だ書類だ区役所だ印鑑だと、嫌がらせの雑務としか思えないような
 ことが夕暮に近ずく黒い山々の影のように立ち上がる。
 それらの頂きは、いつかの日が暮れるまでに越えなければいけないらしい。

 親の死など、おおよその誰にでも訪れる出来事なのに、何故これほどまでに
 煩雑な手続き、かつ葬儀に関わる処処に法外と思える金が掛かるのか。
 日本国民と宗教というシステムは癒着し複雑に絡み合っている。そして医療。
 生命死と社会死、避けようがない故に死は巨大なビジネスである。

 流れ行き着くのは、私の時は延命不要、葬式不要、戒名不要の結論。
 魚座だからという理由でも構わないが、遺灰を海へ流す。
 はたまた海の恋人である森へ入る。あるいは、宇宙葬。

 今の火葬という儀式は、思えば人間という方舟に乗りながら
 生き延びようとする甚大な数の微生物をすべて高温で焼却し灰にする。
 これは言うなれば種の起源と延繁、悠久の尊き生命に対する冒涜では
 なかろうか。

 地球規模のエコシステムといえる土葬が日本で廃止になったのは
 明治8年。主に衛生(西欧的観念)が理由という。
 日本書紀による礼記として表され、古来から続いてきた「葬り」のひとつ
 である土葬は、実際には火葬場が整備される昭和初期まで続いたという。

 とはいえ鎌倉時代に遡れば土葬されるのは身分のある者で、
 他の多くは風葬(遺棄葬、鳥野辺)だった。
 風葬はより直接的なエコシステムと言える。

 火葬が行われ始めたのは室町時代。宗教儀式による一部の差別化で、
 その他の多くは風葬から土葬になった。
 それはすなわち惣村と都市化のはじまりであり、同時に民衆文化の発生
 による個の存在の允許だろう。

 それでも有事であれば、現代でもやむをえず土葬にすることもある。
 東日本大震災では火葬場の「許容量」を超え宮城で土葬が行われた
 のは記憶に新しい。

 所詮は決めごとであり、不可能なことではないのだ。
 もしや、そのうちに選択の自由が訪れるだろうか。
 土壌が汚染されていたら、おちおち寝ていられないかもしれないけれど
 。。。黒冗談

 これからはIOTの時代なのだから、墓と骨壷にIPアドレスを振ったら
 何が出来るだろう。蓋が開いて墓が暴かれたことをセンサーが感知する?
 これはツタンカーメンが知ったらきっと羨む。
 いつでもネットに繋がっていてジャイロとGPSデータでマッピングしたら、
 微妙に緩んだ地盤を検知して、地震発生予知に使えるかもとおもって
 みるテスト。
 墓守ではなく、文字通り子孫を墓から見守るというのは、日本人としての
 メンタリティに叶っているかもしれない。
 坊さんという職業はそのうちロボットにとって変わるだろう。
 名前はロボウさん、あるいはロボウズ。

 姉の話によると、生前母と付き合いのあったという近所のおばさんは、
 一緒に遊びにいく度に理由をつけては支払いを逃れ、気のいい母に屡々
 金を強請っていたという。
 そのおばさんの最期は、区営プールの底から浮かんでこなかったそうだ。
 そうか、都市部でのプール葬はちと無理でも、オープンウォーターでの
 葬いは仏陀の儀式に倣っているかもしれない、とインドのガンジス河を
 想ってみるテストふたたび。

 地球上の生命は、そもそも宇宙で生まれ、その光に生かされている
 のだから、宇宙葬は21世紀の人間が生み出した、より広大な新しい
 エコシステムと言えそうだ。
 私のアイディアは、単に宇宙に遺灰を撒くのではない。
 ロケットの打ち上げに使うエネルギーと火葬につかうのとどちらがコストが
 安くつくか。成層圏から出た後、大気圏に再突入する際、1000度を超える
 高温によって短時間で合理的な火葬ができる。ほんまかいな

 大宇宙の片隅で、いち塵のデブリになる。
 そして我が残滓は海へ還る。悪くない。

 「はじめに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった」
 ヨハネの福音書にはそう書かれている。
 しかしてビートニク世代の作家ウィリアム・バロウズによると、言葉とは
 宇宙からやってきたウィルスなのだそうだ。

 そんなわけで、
 密葬、家族葬、散骨、海、河、森、はたまた宇宙葬。
 いずれ形はどうなれども、死者を敬いと共に弔い、冥福を祈る気持ちは
 永劫であることを願いたい。
 と同時に、どれかを決めるまでに、私に少しでも時間的な猶予がある
 ことをも願う。

 納骨の前日、骨壷の箱に納められた埋葬許可証を確認する。
 そっと蓋を開けて、しばらくのあいだ母の白い骨を眺めた。
 仏間に差し込む明るい春の光の中で、老い枯れて小さかったはずの
 八十八歳の骨は思いのほか大きく、まだまだしっかりとしていた。

    

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