連鎖
1月のとある週末、金曜の夜に急いで東京に戻ろうとアパートを出て駅に向かった。が、時間にしてほんの1分程、あと少しの差で乗り遅れてしまった。。。駅に着いた時にはその電車から降りてきた人達が改札に押し寄せていたのだった。
前にも書いたけど、まだ夜と呼ぶには早い8時のその電車に乗り遅れると、すでに新幹線の乗り継ぎに間に合わない「最終」なのだ。この寒いなか、懸命にペダルを漕いだというのに・・・しょうがない。あきらめて明日の朝、東京に戻ることにする。とほほ
駅の自転車置き場に戻って鍵を外し、まだ辛うじて空いているスーパーで明日の朝食を買って帰ろうとビアンキ君に跨がって漕ぎだしたその瞬間、ふっとペダルが軽くなった。くるくる足だけが廻って前に進まない。玩具のサーカスの熊みたいだ。うーーん、こんな時にチェーンが外れやがって・・・と降りてチェーンを見ると、なんだか少し様子が違う。おやッ?おやおやッ?
よく見ると、、チェーンが外れていたのではなく、リンクが摩耗で切れていた。とほほほほほ
随分長いこと自転車に乗っているけれど、チェーンが切れたというのは記憶にない。初めてじゃないだろうか? そろそろ20年目のビアンキ君。錆もキズも激しいが、実家に置いていた時は屋根付きだったせいかそうメンテに手が掛かるということはなかった。アパートでは露天のせいかこのところ更に傷みが増したような気がしていた。そこかしこから軋む音が出ていることは確かに多かった。そういえば夏頃シフトのアウターワイヤーが切れたことがあったか。その度にメンテはしていたつもりだったのに・・・とほほほとほほほのほお
子供の頃、下駄の鼻緒が切れると縁起が悪いと親に言われたものだ。その後に下駄なんてものは履かなくなって、でもビーチサンダルの鼻緒が抜けた時も良いキモチはしなかった。急いで穴に刺し直して何食わぬ顔でその実、今日一日が無事に過ごせますように、と。それは道で霊柩車を見たら親指を隠さないと親の死に目に会えないのと同じくらいコワかった。3人並んで撮った写真の真ん中が一番早や死にするのもだ。小さな鼻緒が身代わりになってくれたのだと脅す輩もいた。
例えば安物の下駄は作りがボロくて切れ易かった。だから昭和の日々の不幸の数と同じくらい鼻緒が切れることが時々起ったのだろう。過去の経験からはじき出された確率の近似かもしれない。それが本当に確率と比例ならば、もしも最近の丈夫なビルケンシュトックが切れたらかなり酷いことが起るかもしれない。そういえばクロックスでエスカレーターに挟まれた子供の事故があったはずだ。やはり信じられないことが時々起る現実はコワい。
ではちょっとやそっとで切れそうにないシマノのチェーンが切れたら一体どんな不幸が起るか?
コワくて良く眠れないまま聞いた翌朝のラジオのニュースでは、東海大地震も東京大空襲も新幹線脱線も起きていなかった。感謝して欲しい。身代わりになったのはチェーンとこの私。答えは、電車に乗り遅れて家までビアンキ君を押して寒い中20分歩いて帰る、だ。
空きっ腹のままとりあえず思い当たるこれ以上の不幸はない。世界は呪縛の罠とその連鎖に満ちている。アホです。
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