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2017年1月 3日 (火)

ATMOSPHERE

 
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 コロンバで感銘を受けたのは、建築と作品だけではありませんでした。

 訪れている人々の姿に、美術館建築の、あるべき姿を考えさせられたのです。
 美しいと思いました。彼らの姿、立ち振る舞いが。

 彼らは別段着飾っている訳でもなく、寧ろパリやロンドンの人達と比べたら
 野暮ったいぐらいでした(失礼)。
 彼らはただ美術館という空間の中で、作品と真摯に対峙しているだけだと
 いうのに。

 建築と作品と人々。三位一体という言い方が、適切かどうか分かりません。
 が、空間の中である種の調和を齎している。
 そして、美しさはその彼らの動きの中の「一瞬の間」と「平衡(バランス)」
 にあることが感じ取れるような。
 そう思うと、日本の茶室、茶道には「主客一体」「一座建立」という言葉が
 あります。
 稚拙な写真ながら、私の言わんとしていることが伝われば嬉しいのですが。

 これまでに、名建築と呼ばれる美術館をいくつか訪れてきました。
 が、そこにいる人々の姿に感銘を受けたのは初めてです。と同時に優れた
 建築に対するひとつの「ものさし」を見つけた思いです。

 太陽の下に新しいものはない。
 聖書のコリントへの手紙にはそう書かれていて、長くその意味が解りません
 でした。
 でも、歳をとった今なら、コロンバを訪れた後でならわかります。
 なるほど、太陽の下には新しいものはない。
 あるのは、新しい発見である、と。

 
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2017年1月 2日 (月)

KOLUMBA

 
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 コロンバ大司教区教会美術館は、ケルン市街の中心地にあります。

 はたして建築技法としては、セットバックという呼び方に入るのでしょうか。
 それは古い歴史建造物を、外観は残したまま後ろ側を最新の建築にリノ
 ベーションするものです。
 最近の東京でいえば、丸の内の郵便局、そして歌舞伎座。
 かつてベルリンを訪れた際、ブランデンブルグの議事堂やドイツ銀行本店
 (内部はフランク・ゲーリー!)でその技法を知りました。
 一旦更地にして、外観だけ残すのをハリボテ化粧と呼んだら怒られるで
 しょうか(失礼)。

 しかしペーター・ツムトアの手がけたコロンバは、そう単純なものでは
 ないようです。
 ローマ時代の公館の古代遺跡の跡上に、中世12世紀のレンガの教会跡が
 あり、その上にもうひとつ第二次大戦の空襲によって破壊された17世紀の
 教会跡がある。そしてそれらすべての上に現代美術館が覆い被さるように
 建つというもの。

 そのままケルンの辿った歴史がこの場所に、何世紀にもわたり建築として
 積み重なっているという。並のリノベーションとは歴史の厚みが違います。
 古代遺跡も中世の崩れた教会跡も、そのまま出来るだけ手をつけずに細心
 かつ最新の手が加えられている。ここには古代からたった今に繋がる、この
 ケルンのコロンバにしかない長い長い長い物語があります。

 建築の外観は、シックです。現代の美術館にみられるお約束な白い箱では
 ありません。重厚なケルンの街並みに溶け込むような淡いグレーが、ツムトア
 らしく素材の積層によって微妙なグラデーションになっています。
 あたかも丁寧に紡がれて綾織りされたツイードジャケットのよう。

 その外壁には地下の遺跡保護のためと思われる穴が幾つも開けられていて、
 これはスイスのクールで見た、ローマ遺跡のシェルターの通換気と同じ考え
 方でしょう。

 道路角に面した壁は、崩れた中世教会のレンガ壁を支え覆っていて、その
 内部は美しくリノベーションされ、勿論市民の教会として誰でもが自由に
 訪れることができます。そしてその礼拝の場の床や壁には、中世からのタイル
 がモザイクピースとして使われています。
 まるで人々の記憶の断片を拾い集め、丹念に繋ぎ合わせたみたいに。

 遺跡と美術館の入り口は、教会とは別に分かれています。
 遺跡を健全に維持するためにも、有料なのだと理解し納得しました。
 その遺跡の上には通路が掛けられ足元に古の生活跡が俯瞰できるように
 なっています。そしてそれらは手が届きそうで、届かない。
 絶妙な距離感を感じました。

 そして美術館に入って驚いたこと。
 遺跡の展示と美術館を仕切るカーテンが、革なのです。パッチワークされた
 なめし革。建築用ガラスでもなく、鉄扉でもない。
 カーテンの意味は、過去と現代の間は閉ざされてはいないことを意図して
 いるのでしょうか。

 それにしてもカーテンを使うのであれば大抵は布地、これがアジアならシルク
 でしょう。でも、ここは革、獣の革です。
 単なる素材の選択、組み合わせのひとつではなく、それは血を連想し、同時に
 欧州の歴史がもつ暗部を想起させます。
 生臭くてエロい革。その肌理と匂いは生命の残滓とも言える。

 神は細部に宿る。最初にそう思いました。続いてその幾頭も剥がれ繋がれて
 作られた革の選択、徹底的に考えられた仕掛けと演出に、かの黒澤明の言葉
 を思い起こしました。
 「天使のように大胆に 悪魔のように細心に」

 その思いを強くしたひとつが、美術館のフロアに上がった最初の展示物で
 それは足元に置かれた「奴隷」の描かれたローマ時代の壁画でした。
 そのまま顔を上げると左の壁にはキース・ヘリングの描いた黒人奴隷の絵、
 1970年代です。右の壁にはやはり奴隷の姿が描かれた宗教画、12世紀。
 そしてそれら全てを見下ろすかのように、キリストのイコン像が配置されて
 いました。

 壁画から宗教画、キース・ヘリングまでおおよそ900年程の時間差です。
 しかしてそれがほんの数メートル程の距離で凝縮され表現されている。
 そう理解し意識した途端、くらくらと目眩を覚えました。。

 自分の今立っている足下には悠久の歴史が、人々の営みが脈脈とあった。
 神話があり宗教が生まれ、栄枯があり盛衰があった。そこには奴隷による
 労働や搾取があり、そして現代に至っても続いている。
 その全てを神は見てきたのだと。

 そんなことは、展示のどこにも書かれてはいません。すべて私の解釈です。
 でも一目で解ります。見て解りなさい、ということなのでしょう。
 (本来、そうじゃないとおかしいです。博物ならともかく、美術作品に解釈の
 説明書きがあるのは日本だけではないか。名付けて「あぶないですから
 白線の内側までさがってお待ちくださいカルチャー」(ちと長いか))

 美術館としての展示は、その奴隷に関するものの他、大司教区教会として
 これまで収集してきた宗教的な古物に加え、現代アートのオブジェ、絵画、
 写真などが幾重の時の垣根を越えて組み合わせられ、言うなればハイブリッド
 されています。
 展示数はそう多くありません。けれどこのコロンバには、コロンバにしかない
 「時間に裏打ちされた本物」がある。展示物だけでなく、建築もまた一体化
 したアート、人が創造したもののひとつとして。
 この建築は、空間と時間の芸術なのだと思いました。

 美しくて綺麗な建築は、世の中に沢山ある。人目を惹くための建築は最近
 特に多い。でもコロンバのような感動する建築には、おいそれと出会わない
 ものです。この世に唯一無二、Like No Other.
 私は、ノックアウトされました。

 
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 遺跡も、そしてカーテンも写真をアップしません。
 何故って実際に訪れる人へのお楽しみです、笑。

 それにしても、十数世紀といえど時の流れは速く、目を離している隙に
 いつの間にかその姿を変えているという。ダルマさんがコロンバ、という
 オヤジギャクを考えましたが、ここでは書きません。書いてるかー

      

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2017年1月 1日 (日)

あらたなとし

 新年を喪に服して迎える。
 世の中と同期するかのように大きな変化の渦にいた昨年。
 母が亡くなって、やらなければならない波が一気に押し寄せた。
 津波のようにもしや高台にでも逃げられれば良かったけれど、
 そいつは誰にも避けられず、しかし誰にも向き合うように出来ていた。
 親の死など、なかなかこないだろう明日の事として、ただ怠けていた。

 四十九日から百箇日と初盆。
 一息ついた夏頃にはどうにか自分を取り戻せたかのように思えていた。
 しかしながら秋が過ぎて、冬の始まりに己の歳を重ねおもう。
 世の中の春は再び巡ってくるだろう。
 
 欧米もアジアも日本も、激動の一年だった。
 英国のEU離脱執行、米次期大統領就任、韓国大統領退任、仏大統領選、、
 核軍縮は進むか、テロは日本でも起こるか、経済戦争は更に進むだろう。
 今年対岸で起こる大地震が、極東の市井の浜へどれほど影響を及ぼすのか。

 あらためて、というのを英語では over again と表現する。
 未来には何か起こるか、誰にもわからない。
 しかし今年は、昨年より更に多くの変化が起こるということ。
 again は常にこれまでを over して起こるものだと考えれば。

 人は常に今を生きることしかできない。
 少しでも、小さくても良いので、幸せなことが起こる一年でありますように。

 2017年 元旦  UMAGURUMA


 Fullsizerender_2

  @Pumplona, SPAIN


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