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2017年6月24日 (土)

Boom Technology's XB-1

 Boom_1

 ロンドンのヒースロー空港を車で行くと、入口のロータリーにコンコルドの
 大きな模型が飾ってある(今もまだあるのかな? ブリティッシュエアの
 カラーリングです)。

 その姿は誇らしげではあるのだけれど、今は、いやこれからは、
 もう模型でしかその姿を見られないだろうと思っていたのです。
 何故って、未来の航空旅客機は環境問題を解決するために、やがて
 電動化されるだろうと。仮に化石燃料を代替する藻類や大腸菌が出来た
 としてシリーズハイブリッドの形式が本命。そう考えているので。

 しかしながら、6月のパリ航空ショウで新世代のコンコルドとも呼ぶべき
 超音速旅客機の開発が公開されたのです。
 (ここで取り上げたプレス記事は昨年11月のもの)

 名前はXB−1。米国の航空ベンチャーBoom Technology社による
 もので、曰く「ジェット時代の夜明けから60年、私たちはまだ1960年代
 の速度で飛んでいる」「コンコルドの設計者には、手頃な価格での超音速
 旅行を可能とする技術がなかったが、今ならできる。2017年末には
 初飛行が予定される最初の航空機を公開できることを誇りに思う」とのこと。

 ベンチャーとは言いながらファウンダーはAmazon。
 NASA、SpaceX、Boeingの出身者が集い、現在の航空業界の頭脳を
 結集したBoom Technology社。そのバックにはGEとVirginがつき、
 これまでに培った航空技術のすべてをつぎ込むという。
 とは言うものの、ダグラスDC−3との共通項がひとつ。安全性と
 信頼性が実証済みの技術(空力、材料、推進力)を駆使するとのこと。
 リスクを抑える航空機設計のセオリー自体は変わらないのでしょうが、
 技術革新によってマッハ2.2の超音速、高度6万メートルでの飛行、そして
 アフターバーナーのないターボファンエンジンで、燃費もコンコルドより
 30%向上するという。
 ちなみにXB-1のターゲット層はかつてのコンコルドと同様。
 その価値はズバリ、時間。
 ロンドンーニューヨーク間を3時間程、サンフランシスコー東京間を
 5時間で飛び、日帰りを可能にするとのこと(フライト時間は兎も角、
 その出張で日帰りを望む人がどれほどいるか判りませんが・・)。

 かつて超音速は航空機の夢の形のひとつでした。経営学には
 コンコルド効果という言葉がありますが、確かに超音速は実現できた
 けれど、莫大な開発費と期間、燃費、騒音、高額の運賃など超音速
 以外の利点はほとんど見出せなかった。
 2000年のパリでの墜落事故、そして911同時多発テロの影響で事業
 収益は更に悪化し、その役目を終えたのはまだ記憶に新しいところ。
 残念ながらコンコルドの拘りは、人を幸せにしなかったと言えまいか。
 その終焉は航空業界ではじめての後退と呼ばれた。

 例えば身近では、ワープロによって漢字が書けなくなった。
 自動車の登場によって移動の自由と引き換えに人は歩かなくなった。
 インターネットやスマートフォンの登場によって、生活は便利にはなったが、
 ものを考えなくなった。
 昨今SDGsが謳われているけれど、もしかしたらそれらは人に無理なく沿う
 テクノロジーによって実現されるのかもしれない。
 インターネットによる一瞬の検索よりも、広辞苑を開くことが考える間を
 与えてくれるように。
 ネットワークオーディオがどれだけ高音質で安価であっても、ヴァイニール
 (レコード)の音楽が愛されたりするように。
 DC−3が人を魅了する理由も、どうもその辺にあるまいか。
 選択肢がある豊かさを、もちろん否定はしないけれども。

 ギリシャ神話のイカロスは、蝋で固めた翼によって自由に飛翔する能力を
 得る。が、太陽に接近し過ぎたことで翼が溶けてなくなり、墜落して死を
 迎える。
 イカロスの物語は人間の傲慢さやテクノロジーを批判する神話として知ら
 れるのだけれど、しかしながら戒めの教訓とは逆に、自らの手で翼を作り
 飛び立ったイカロスを挑戦と勇気の象徴と解釈する説もある。

 イカロスは時を経て蘇り、再び大空に羽ばたいたという続編がはたして
 ギリシャ神話にあるのかどうか、私は知らない。

 
 


 さてDC−3と新旧コンコルド、いずれにも機械としての矜持があること
 には違いない。
 やがて航空旅客機も電動化と超音速で二極化するのでしょうか。

 XB-1はパリ航空ショウの発表では2020年に初飛行、2023年に
 市場参入を予定しているとのこと。

 
 

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2017年6月10日 (土)

Breitring's Douglass DC-3

 Img_4552

 ブライトリングの持っているダグラスDC−3が日本を訪れた。
 ワールドツアーの途中、勿論時計のプロモーションを兼ねて震災復興の
 チャリティイベントとして熊本、神戸、会津と福島へ。
 そこから幕張のエアレースへエキジビションフライトをするという。

 そして6月初めのよく晴れた日曜、東京湾へ自転車を走らせた。 
 福島方向から東京湾へ飛んでくるとしたら、飛行ルートとして待ち構える
 べきは江戸川の河口、三番瀬だろうと狙いをつけて。子供みたいだ。

 ところで、現役のDC-3を見たことってありましたか?
 私はあります。アテネ空港からサントリーニ島へ渡るときオリンピア
 (オリンピック)航空で偶然。超ローカル線とはいえ、そろそろ20世紀が
 終わろうとしている90年代。
 成田を出てから3回の乗り継ぎを重ね、28時間以上不眠の時差ボケで
 フラフラでしたが、その機体を見た途端に目が覚めました。
 離陸前に窓から格納庫を見たら、同じくデ・ハビラントと思しき機体も
 見えて、これまた興奮。
 その時でさえ、よくまぁ生きているもんだと感心した覚えがあります。
 何故って、その当時の空の旅は超音速(コンコルド)が舞台の主役であり、
 大型大量輸送(747)が主流だったのです。
 もはやロートルのプロペラ機は急速に忘れ去られる存在でした。

 ライト兄弟の有人初飛行が1903年の12月17日。
 ダグラスDC−3の初飛行はそれから32年後、1935年の同日
 (ドナルド・ダグラスが表敬でその記念日を選んだ)。
 両機の間がたった32年と考えたら、航空機の歴史がいかに飛躍的、
 まさに飛ぶ鳥の勢いだったか。途中リンドバーグの単独大西洋横断が
 1927年と考えても、そこからDCー3まで5年なのです。
 今風に言えばエクスポネンシャル、指数関数的進歩。
 オール金属製モノコックや引込み脚、可変ピッチプロペラといった
 その後の航空機としての基本構造も然ることながら、夜間飛行のための
 開放式寝台とキッチン!まで備えていたというのですから。
 前型のDC−2までに培った経験を積み重ね、技術リスクを最小限にし、
 叡智を結集して生まれた大傑作。
 そうできた理由は何かと考えたら、一つにはその時代は設計にはまだ
 コンピュータが使われていなかったから、と思うのです。
 ドラフターと雲型定規、そして計算尺は人の手にもっとも近い道具だった。
 もちろんコンピューターのお陰で得られたものは計り知れない。
 しかしながら、その引換えに失われたものはある。
 
 ブライトリングのDC−3は1940年製とのこと。齢77歳。
 航空機体の寿命は離着陸の回数で決められている。エンジンは飛行時間。
 しかし機械モノである故、ブライトリングが証明しているように、部品交換や
 メンテナンスをすれば現役で(オリジナルを保ちながらでも)飛び続ける
 ことは可能なわけです。

 今はクラシックカーや蒸気機関車のイベントに大勢の人が集まるぐらい
 日本の文化民度も(未だ米欧には遠く及ばないものの)熟しているのだから、
 魅力を演出できればヴィンテージ航空機による(ショウ)ビジネスは可能では
 ないか。零戦は言わずもがな、YS-11の姿を見たい人は少なくないと思う。
 どなたかソロバン(計算尺と共に死語ですが、ここは敢えて、笑)を弾く
 奇特な御人は居らんぞや、などと考えてみるてすと。

 以前ブログで書きましたが、DC−3は今でもフライトできる所があるそうな。
 アフリカではいまだに輸送機として使われているという話も。
 そういうのを追いかける旅もいいかも。翼を味わう夢の旅。
 僻地への時差ボケに爆音の拷問がもれなく付いてくる、笑
 それこそブライトリングのナビタイマー1個ぐらいの値段で叶うのではない
 でしょうか。


  

 えっ 零戦の方の話はどうしたって? 
 メディアで取り上げられているので天邪鬼に割愛。その姿は感動的では
 ありましたが、できれば栄のエンジン音が聴いてみたかったですね。

 
 

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