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2017年7月 1日 (土)

ミライノマチ ジユウナサンポ リョウジンヒショウ

 
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 42階のスイミングプールの窓から、無人運転のモノレールが高層ビルの
 谷間をまるで爬虫類のように這っていくのが見えた。
 かつて東京が一面の焼け野原だったなんて、東京に生まれ育った自分でも
 俄かには信じられない。外国人観光客には尚更だろう。
 過去が現在に影響を与えるように、未来もまた現在に影響を与える。
 そう言ったのはフリードリッヒ・ニーチェだ。

 汐留のホテルにチェックインして、タイマーを掛けて15分仮眠をした。
 まだ頭がぼんやりとしたまま、どこかで夕食を取ろうとホテルを出て
 地下通路を歩いていたら、まるで未来の街に迷い込んだかのような
 錯覚に陥ったのだった。

 地下通路にはコンビニもタワレコもあるのに、煩くて見苦しいポスターや
 看板の類が一切ない。なんだか自分の知っている猥雑な東京らしくない。
 歩いても歩いても同じ風景が繰り返され、まるでテキスチャーマッピングで
 作られたコンピューターグラフィクスの街中を歩いているかのよう。

 暑くなく寒くもなく、空気や風の流れが感じられなくて、緑もない。
 それって未来には、もしや季節が失われているということか。
 そして週末の夕方、駅に向かって歩いている人の数は多いのだけれど、
 話し声がしないのだ。誰もが見えないバリヤーを張りながらただ黙々と
 エスカレーターや階段の続く通路を急ぎ足で歩いている。
 未来には、公道での私語が禁止され、監視されているのかもしれない。

 どこか無機的で不思議な違和感を感じながら、エスカレーターを上り
 回転扉を通り抜けると、ポルシェのショウルームが目に入って
 ようやく地上に、見慣れた銀座の街の景色に辿り着いた。

 薄暮の夜空を見上げると、とりあえず皮膚を溶かす酸性雨は降ってなく
 警察のドローンも飛んでいない。
 そして不意に外気には温度があったことに気づく。
 夏の夜の始まる前の、むっとしたその生暖かさから想うのは、
 地球規模の温暖化は進みつつあるだろうということ。まるで
 時空を超えて時計が西暦2017年の今に戻るその一瞬、
 大気に歪みが生じて発熱したかのようだった。思わずポケットから
 iPhoneを取り出し、時刻とそして年号を画面で確かめる。

 新橋へ走るタクシーの運転席には、まだ人間が乗っていた。
 横断舗道の信号が変わるのを待ちながら周りの人々を見ると、
 ビニール袋に入ったバイオ化学兵器を隠し持っていたり、自爆用の
 ベストを着込んだイスラム教徒はこの銀座のはずれにはいなさそう
 だった。ただ眼の前に見えていないだけで、たった今大規模な
 サイバーアタックを狙っている輩はどこかにいて、予め対になって
 いるかのように監視するシステムもまたどこかにいる。
 世界はどうにか危ういながらもバランスしていそうだった。

 銀座通りに入ると、観光バスから降りてきて高速道路のガード下に
 大勢屯しているのは中国人観光客で、全員が国慶節の爆竹のように
 大声で喋り続けている。
 彼らはこれまで4000年も喋り続けていて、もう100年ぐらいは
 息継ぎしないで喋り続けることができそうだ。彼らのスマートフォン
 からは切れ目なく画像が吐き出されて、画像も声も共にどこでもない
 仮想の何処かの雲へ吸い上げられて行く。そして銀座通りを背景にして
 全員が同じポーズであることに兵馬俑を連想する。
 果たして100年後の彼らは、100年前の旧式なデジタルフォーマットを
 無事に掘り起こして再生することができるだろうか。

 やがて銀座通りは中国が占拠する。その可能性を誰が否定できるだろう。
 日本企業のいくつかは既に資本主義という経済戦争で侵略にあっている。
 大英帝国の自動車メーカーのほとんどはかつて植民地だったはずのインド
 資本になっていることを思えば、そうなることは容易に想像がつく。
 それが中国企業によるものか、中国政府軍かが問題なのかもしれない。
 でも心配はいらない。栄枯盛衰は世の常なのだから。

 もっとシリアスに考えなければいけないのは、2020年のオリパラを
 前にして東京に直下型地震が起こることだろう。もしそうなったら、
 その時どうするという対策やシナリオを誰が想定しているのか。
 誰もが思っているはずなのに、誰もが「起こるかもしれない」ことには眼を
 背けようとしている。その前にコンビニからエロ本コーナーを排除する
 方が優先なのだ。

 バッグも荷物も何も持たず、手ぶらで銀座通りを歩くのはこの上なく
 気分が良いことに気づく。
 そのうち財布も鍵もスマートフォンも持たずに済む日がくるだろう。

 子供の頃は、駄菓子屋のための小銭しか持たずとも何も問題がなかった。
 誰かに傷つけられるような、得体の知れない不安もなく、眼には見えな
 かったけれど、何かに守られていて、それが自由の正体だった。
 やがてAIを始めとするテクノロジーが、そんな子供の頃の身軽な自由さを
 取り戻してくれる。それはシリコンヴァレーの似非ヲタクが言うような
 新しいUXなどではなく、身体が覚えている懐かしい感覚である。

 そしてメタマテリアルの服が出来たら裸で街を歩けるようになる。王様の
 気分で。でも服の下は素っ裸は落ち着かないのでステテコやフンドシや
 半ズボンぐらいを申し訳で身につける。女性もタンクトップやキャミソール
 なんて中途半端じゃなくて、ワコールやエレスやヴィクトリアシークレットや
 ピーチジョンがいい。フェミニズムの再構築だ。ほんまかいな・・

 子供の頃は春夏秋冬何処にいくにも半ズボンだった。未来は反重力
 ズボンだろうか。地に足が着いていなければこれ以上の身軽さは無い。
 靴も履かずに済んで裸足のままでも足は汚れずに、家に上がる時も
 怒られることがない。
 身体性を伴って、過去の記憶を過去より快適に拡張できた時に、本当の
 意味での自由な散歩が可能になる。

 遊びをせんとや 生まれけむ
 戯れせんとや 生まれけむ
 遊ぶ子供の声聞けば
 我が身さえこそ動がるれ

 梁塵秘抄である。

 銀座のデパ地下はどれがロボット店員で、誰が人間の店員なのか。
 見分けるコツは振る舞いで、気が利いて人間らしいおもてなしをする方が
 ロボットだ。女性型は絶妙にシンメトリックを崩されて美形だけれど、
 性ホルモンへの刺激はパラメタにはなく、客が無闇にムラムラこないように
 社会環境に配慮されている。ラブドールとの仕様の違いはその部分だけ
 だろう。そんなロボットがうまく働けるように動き回っている方が人間だ。

 デパ地下はどこも冷房が効き過ぎていて寒い。四次元の自己組織化で出来た
 メタマテリアル服は温度条件がタイトで、デパ地下ではうまく身体を消すこと
 ができない。強冷房は食品バイオテロと万引き防止の両方を兼ねているのだ。
 デパ地下で山下清画伯みたいな半裸の格好をした人を見たら、それは未来
 からやってきた人だと信じてみるてすと。

 ふと思いついてアバクロを覗き、ユニクロをパスして、ノラクロを探す。
 が、見つからない。反重力ゲートルを履いたノラクロのファッションは
 20世紀の不確かな記憶にしか存在しないのだ。
 ビームスにもバーニーズにも、ストリートマーケットにも反重力素材の服は
 みつからない。遅れている。こまったでギャルソン。

 ピカソは80歳を過ぎて、ようやく俺も子供みたいな絵が描けるようになった
 と言うのだけれど、歳をとると誰でもが子供になる。
 認知症も手がかかる子供みたいなものだと言えなくもない。
 但し子供は徐々に手が掛からなくなるが、認知症は徐々に手が掛かるよう
 になる。つまり脳内にβアミラーゼを溜めないためには子供の頃のような
 感性をもって遊ぶことだ。
 都合の良いことに、未来はAIやロボットが奴隷のように休みなく働いて
 くれるので人間の仕事は労働ではなくなる。仕事、つまり仕える事
 という概念もなくなるので、人間のやることは遊びに近くなる。

 AIやロボットに仕事を奪われると心配する人たちは、これまで週7日の
 うち5日間以上のほとんどの時間を労働で使い、高度成長期の慣性を
 止められない会社に洗脳され社会に去勢されてしまっていて、遊びという
 創造力が足りていないのだ。いや、創造力などという大其れたものではなく
 子供の頃にお金も何もなくても工夫しながら遊んでいたことを思い出せ
 なくなっているにすぎないのだろう。

 会社を休むことに罪悪感を感じるような人には未来がない。
 日本の政府は元気な高齢者でいることをアジテートして、企業にも定年を
 延ばせるだけ延ばして税金を払い続けさせろという。
 ベーシックインカムのシステムも実現できる国は恵まれた資源国だけで、
 そもそもものづくり大国とやらは自転車操業と同義なのだから。

 そんなロクでもないことを、夜の銀座通りを散歩しながらつらつら考える。
 本当に身軽で自由になれるのはまだもう少し先でも、そのココロになって。
 
 そろそろお腹が空いてきた。
 そうだ、ロクでもないってことで、シックスのデパ地下に戻って弁当を買って
 ホテルの部屋で食べよう。
 いまのうち、マイクロプラスティック汚染のない魚、江戸前鮨か、プチ奮発
 して人造肉ではないステーキ弁当ってやつだ。
 子供の頃は不二家の苺ショートで充分に幸せだった。
 そうだ、それがいい。


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 人のブログは真剣に読まないこと。それがいい。
 
    

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