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2018年1月28日 (日)

via NICE, per Marseille

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 速くて美しい列車も大好きなんだけど、
 列車の窓が開けれて、風が入ってくるって、いいなと思うのだ。
 風や匂いがなければ、そのガラス窓はVRやテレビみたいでつまらない。
 テレビに顔を押し付けるようにして見る人はいない。余程の近眼じゃ
 ないかぎり…(失礼)。でも列車の窓に頬を寄せるようにして風景を
 眺める、景色を眼に焼き付けたいとする人はどれほどいるだろう。

 新幹線とか、TGVのような高速列車が実現してくれたものは大きい。
 でもその恩恵の分だけ失ったものもまた多い。
 子供の頃、高崎の駅でダルマ弁当を大きく開けた窓越しに買った。
 軽井沢に向かう碓氷峠の前に、列車がひと休みの間に峠の釜飯へ急いだ。
 急がなくても、車掌さんは乗客の皆を見ていたのに。
 鯵の押し寿司は沼津だっけ。ミラノ中央駅にはパニーノに自分で生ハムを
 挟むお弁当の袋があって、オリーブとチーズ、紙パックの赤ワインが
 入っていた。

 カップ・マルタンを離れて、乗換駅のニースでサラダの弁当を仕入れ、
 アテネから来たという自転車の二人組と話す。
 知らないメーカーのブルーグレーのスチールフレームは、でもイタリアの
 職人の手でメッキのラグ周りなんて凝って作られていて、その傷の一つ
 一つに思い出が刻まれていそうだった。

 列車にもカフェにも駅の雑踏の中にも、名前のない人は一人としていない。

 通り過ぎる風景は、時間と共に二度と巻き戻せないことを、旅人である
 我々は皆知っている。それがゆっくりでも、びゅんびゅんでも同じだ。
 そしてその時間に、実はぼんやりとした分だけ、物思いをした分だけ、
 旅の時間の質みたいなものが煮詰まってくる気がする。
 列車がそろそろ到着するというその前に、徐々にスピードが落ちてきて、
 車の流れや信号機とか、歩道を歩いている人の姿とか、窓の奥に人影が
 見えたり、洗濯物とか、街のいろいろなものがはっきり見えて来始めると、
 そんなことを考える。

 綺麗な風景だけが、世界を形作っているわけではないことを、列車の窓は
 教えてくれる。そのことがわかっているから、子供は時々靴を脱いで、
 座席に立ち上がって一心に窓の外を向いていたりするのだ。

 カップ・マルタンからニース経由、マルセイユのセントチャールズ駅まで
 3時間のローカル列車の旅。着いた着いたー
 
  

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2018年1月27日 (土)

Le Cap Moderne

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 カップ・マルタンの駅前にはガイドツアーの案内受付とギャラリーが
 あって、アイリーン・グレイについての紹介展示がされています。

 入口ではル・コルビュジェと対等に彼女の写真が貼られていて、
 その存在が再評価されていることを示しているのでしょう。

 E1027を舞台にしたグレイの映画が日本でも公開されると、
 ガイドのお姉さんから聞きました。

 ガイドツアーにはスペシャルなナイトプログラムもあるそうで、
 モナコの花火を眺めながら、E1027の庭先でディナーをとる
 ものがあるとか。私が訪れたのは前日でした。。
 台所は使えないので、地元のレストランのケータリングだそう
 ですが。でも素敵ですよね。他ではできない経験なのですから。
 また訪れるだろういつかの日に。

 カップ・マルタン駅からE1027とキャバノンへ続く小道は、歩いて
 10分ほどの長閑な散歩道。プロムナード・ル・コルビュジェと
 名づけられています。

 
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 ガイドツアーの申込先はこちら
 地元のツーリストインフォメーション


 そしてそのまま遊歩道は、カップ・マルタンの岬へ続いていて
 ちょっとしたトレッキングコースに。
 途中には南仏らしい、美しい高級ホテルも点在。
 碧い海と白。ヨットを眺めながら、岬を巡って隣町まで一時間程です。

 (途中にはコル先生がいたりして・・・やや興覚め?
  行ってのお楽しみです、笑)

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2018年1月25日 (木)

Cap Martin

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 私はガイドツアーの後に、ル・コルビュジェが最後に泳いだという
 地中海の浜へ向かったのでした。

 キャバノンの脇から降りるその小道には遊泳注意の大きな看板が
 あって、そこは監視員のいない浜。
 その当時も、おそらく今とそう変わりはないでしょう。

 石と、岩の浜です。
 夥しい数の浜の石が、波に叩かれ洗われながら砂の細かさに
 なるには、あと50万年ぐらいは掛かりそう。
 浜の妙齢のご婦人たちは皆トップレス。
 体型とか、肌に染みがあろうともトップレス。
 私は自然の生き物なのよ、と。
 50万年後も碧く美しい地中海と、その平和の象徴は存在して
 欲しいものです。

 そして私は「コル気」のスイッチを入れて、水着になって、
 海へ入って、すべてを理解しました。
 遊泳以前に、どうやらここは女子供や、ましてや老人が安全に
 泳げるような海ではない、ということを。

 一見穏やかに見える海は、沖に出ようとすると打ち寄せる波が
 強く岸辺へ戻される。一旦それに逆らって沖に出ると、今度は
 沖へ沖へと流される。
 そして沖はうねりが結構、いやハンパなく強い。。
 入った位置が悪かったかもしれない。浜で日光浴をする人達は
 いても、沖では、私の周りでは誰も泳いでいなかった。
 大声をあげたら、私に気づいてくれる人がいるだろうか。
 まずは落ち着かなければ、と思っても「そのこと」を意識した途端に
 呼吸が速くなりはじめ、身体が緊張して固くなっていくのがわかる。
 沖へでてから岸に戻るには、横へ移動して岸に向かう流れを
 読むこと。かつてダイブマスターのレスキュートレーニングで
 受けた教え。でも今日は、本番。
 毎週のようにプールで泳いでいても、海はまったく違う。
 泳ぎ方も、心構えも。
 そして100メートルほど頭を上げてクロールで泳いで、ようやく波の
 流れをつかんで、浜へ戻れた。
 息が切れ、心臓がバクバクしていた。

 ル・コルビュジェは、おそらく何度も岩に叩かれただろう。
 浜に打ち上げられた時は、皆が集まって大騒ぎになっただろう。
 でも、そんなことは、お見通しで海へ入ったのではないか。
 思い残すことが、あったのかどうか、本人のみぞ知る。
 でもなんらかの「覚悟」はあったのではと思う。
 そのことが今日、身体でわかった。
 頭ではわかっていた、想像できていたつもりだったのですが。

 そして次の日の朝、カップ・マルタンを発つ夜明け前に
 もう一度ホテルの前の海へ入りました。
 昨日よりは心も、波も落ち着いていて、太陽の昇りはじめる
 穏やかな沖まで泳いで、、やっぱりしこたま海水を飲みました。。

 カップ・マルタンを訪れたなら、あなたもちょいと「コル気」になって
 みるてすと。

 
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 左の小道を登った先、崖の中ほどに白く小さく見えるE1027。


  

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2018年1月24日 (水)

Le Cabanon

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 ル・コルビュジェの休暇小屋、キャバノンは結果として彼の終の住処に
 なりました。が、思うに本来はここも仮の、休暇の一時期を過ごすための
 場所、建築でした。

 なんだ意外に大きいじゃん、というのがその第一印象。
 レ・マン湖畔の「小さな家」もそうでしたが、全然小さくも狭くもない。
 天井にストレージがあり、本棚ももちろんベッドもある。テーブルが
 作り付けで自由度が少ないぐらい。キッチンはないけれど、隣には
 ヒトデ軒があると割り切ったのでしょう。キャンピングよりも余裕を
 もって造られています。緑色に塗られた設計作業用の小屋は、住居
 とは別に造られていますし。。
 日本の狭小住宅、一桁坪の方がよほどタイトではあるまいか。。

 それでもモナコ育ちのイボンヌはこの小屋を気に入らなかったようで、
 あまり来なかったとか。その理由はベッドの頭の上に、カーテン一枚で
 トイレがあったから、とか。。

 そしてこの概観。端正な日本の茶室とは比べものになりません。
 屋根はスレートです。が、これはこれ。ログキャビンの造りのアバウトさが、
 ゆるーい南仏らしさかもと思いました。

 瀟洒でお金の掛かっている、隣のグレイのE1027とは対照的です。
 嫉妬心の裏返しがそうさせたのかどうか、わかりません。
 裕福なクライアント達を相手にしていたル・コルビュジェも
 最後は悟りの境地、豊かさを達観したのかもしれません。

 キャバノンを眺めながら、私は「人間の土地」という話を思い出して
 いました。サン=テグ・ジュペリではなく、トルストイの民話の方を。

 ある男が、必死に働いて得たお金で土地を買おうとする。
 地主は男に「日の出から日没までの間に、歩くことができた土地を
 お前に与えよう。ただし日没までに戻らなければならない。
 お前が必要な分だけ、欲しいだけ歩くが良い」
 そう約束を伝える。
 男は日の出と共に村を出て懸命に歩く。歩けば歩くほど土地は
 豊かさを増して魅力的になる。昼を過ぎて、もうそろそろ引き返さ
 なければいけない頃になっても男は土地に、大地主になることに
 目が眩んで歩き続ける。
 やがて陽が傾き、空が赤くなり始めた頃にようやく男は事の重大さ
 に気づく。
 必死で戻ろうとする男。ようやくその日没の瞬間に地主の元へ
 戻る事が出来る。けれども疲弊しきった男はそこで息絶える。
 地主は約束通り、男を埋葬するためのほんの小さな土地を
 そこに与える。

 大きくて小さなキャバノンの中で、少しの間私はル・コルビュジェの気分、
 すなわち「コル気」になってみました。
 アホかいな、とお思いでしょうが、そう、アホですねん。
 楽しめれば良いのです。笑って、楽しまなくっちゃ損だ。
 最後は、もっと小さな土地に入らなくちゃいけないのですから、
 その前にね。

 そういえば人間、HUMANの語源はラテン語のHUMUS、土から
 生まれる、という意味とか。土に「還る」という言葉は、人間に
 とって自然と同義なのかも。

 そんなわけでキャバノンは、おそらく住めば都はるみ。
 あんこ椿は恋の花だと思いましたとさ。わからんかー


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 元はジャン・プルーべのアイディアという採光窓。
 反射して写り込むのは豪奢なモナコの景色。


      

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2018年1月22日 (月)

Unite de Camping / Etoile de Mer

 
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 ユニテ・ド・キャンピング。限られたスペースをモデュロールを守りながら
 いかに効率的、合理的に使うか。この時の実験的なミニマリズム試行が
 その後の都市の集合住宅、マルセイユのユニテ・ド・ダビダシオンへ
 つながる。

 
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 そしてレストランのヒトデ軒。一見レトロな映画のセットを思わせるような
 佇まい。当時のまま時が止まっている。内装は手作り感バリバリで、それが
 また往時の雰囲気を伝えている。
 どんなメニューが出され、ル・コルビュジェは何を好んで食べていたのか。

 しかして、当時の店にはジオ・ポンティのスーパーレッジェーラは置かれて
 いなかったのではと思われ。おそらくスポンサーのカッシーナの仕業では
 ないでしょうか。おカッシィーナぁ。。でもモダンなデザインなのに、どこに
 どんな部屋に置いても違和感がないのは傑作椅子の証明。
 許しませう、ってナニをだ?


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 リペイントされていると思しきモデュロール画。建築業界ではやっほー君と
 呼ばれているそうな。。ホンマかいな。。

  

  

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2018年1月20日 (土)

E1027

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 2016年にアイリーン・グレイのE1027が修復され、
 カップ・マルタンのガイドツアーとして公開されています。

 ツアーはル・コルビュジェの終の棲家となったキャバノンと
 レストランのヒトデ軒、そしてモデュロールの試作ともいうべき
 ユニテ・ド・キャンピングも同時に見学する豪華版なのです。
 修復されて間もないということもあるのでしょう。
 2時間半を超えるツアー時間の半分以上がE1027の見学と
 説明に費やされました。そして素晴らしいガイドツアーでした。

 アイルランド出身の建築家、元々はインテリアデザイナーだった
 アイリーン・グレイという人は、美貌に加え才女だったらしく、
 ル・コルビュジェは彼女にひどく「嫉妬」したようです。
 その切っ掛けとなったのは、このE1027の近代建築の五原則。
 アイディア自体はル・コルビュジェが提唱したもの。けれども
 その提唱者より先んじて(例えばサボア邸よりも早く)、しかも
 美しく具現化してしまったため、怒りをかったとか。

 才能のある人は、時としてLGBTだったりします。
 LGBT(最近のカテゴライズで言えばLGBTQIAでしょうか)のB、
 バイセクシャルに相当したというグレイ。
 E1027は建築家としての処女作だったそうですが、元を質せば
 恋人であった建築家のジャン・バドヴィッチの助けがなければ、
 ここまでの完成度をもつ近代五原則の建築は成し得なかったよう。
 それを表すかのようにE1027のEはアイリーン、10はアルファ
 ベットの10番目のJ(ジャン)、2番目はB (バドヴィッチ)、
 7番目はG(グレイ)というように、二人の頭文字によって名付け
 られているとのこと。

 美意識が隅々まで溢れる建築。

 すでに建築界の巨匠であったル・コルビュジェが、彼女の留守中に
 E1027へ勝手に入り込んで壁に絵を描いたり、自分の建築
 アイディアを盗むなとバドヴィッチとグレイに圧力を掛けたり、、
 それが嫉妬のあまりか、否か、真意は本人のみぞ知る。
 思うに、ル・コルビュジェも人間だった。
 そしておそらくは子供みたいな面もあったのでしょう。
 LGBTとは違う意味で、多くの人が持ち合わせているような。

 しかして建築としては不具合も多々あったようで、雨戸や雨樋がない、
 冬の雨季には特に雨水の排水容量が不足して、段差のないデッキで
 居間の床が水浸しになる等々・・自分の別荘だったのが幸いか、美しさ
 を追い求めたあまり、また美しければ全てが許された、かどうかは
 わかりません。が、どうやら南仏の環境を配慮し忘れたというよりは、
 建築家としての経験がグレイには少しばかり足りなかったようです。

 その他にも、第二次対戦中にドイツ軍が国境を超えてきて、司令地
 として占拠されたり、その際にル・コルビュジェの描いた壁画の女性像が
 不謹慎だと潰されてしまったり、その一部が倉庫に残っていて、あえて
 今回復元せずに戦争の記憶を形に留めていたり、、E1027にはそんな
 エピソードも。

 ツアーによって、建築と建築を超えた一切を眺められるというのは
 なかなかに得難く、またその不完全さゆえに人が形つくったモノとしての
 感銘を受けます。戦争もまた人が起こした出来事のひとつとして。

 そして様々な歴史の痕跡を、出来るだけ壊さないように配慮されながら
 後世に伝えるよう復元されているのが印象的。
 なんというか、E1027という建築が「生々しく、艶かしい」のです。
 形而下の美を超えて、幾多の物語に裏打ちされているからでしょうか。

 私の言っていることは、E1027に行けばわかると思います。

 

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2018年1月13日 (土)

Roquebrune Ville

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 カップマルタンの山間にあるロクブリュヌは入り組んだ城壁路地のある
 南仏らしい村。その共同墓地にル・コルビュジェとイボンヌは眠っている。

 路地を歩いていると、どこからともなく村の猫がやあやあと出迎えてくれる。
 村には湧き水らしい共同の水道があって、猫は蛇口の水を捻ろという。
 その石壁に掘られた年号は1811年。この村が一体どんなところなのか、
 想像できる紹介を一瞬でしてくれたのだ。
 200年前も猫はこうやって案内ついでに美味しい水をねだっていたに
 違いない。

 夜の八時過ぎとは思えない夏の明るさ。だが古城はとっくに閉まっている。
 城の門前に住む老夫婦は玄関先へテーブルを出し夕食を食べている。
 着ているものや食べるものが質素であっても皿とカトラリーを出し
 ナプキンを使い丁寧に食べ物と対峙すること。食の時間を豊かにする
 コツである。たとえ老夫婦の間には何もしゃべることがなくても。

 路地を彷徨った後に、おそらくはル・コルビュジェも訪れたであろう
 村の洞窟レストランへ行く。
 プリフィックスのメニューから、地元の白ワイン、太刀魚のタルタル、
 そして子鹿のグリルを選ぶ。自家製らしきパン。細かく刻んだオリーブ
 の先付けが南仏を感じさせるけれど、その名前が思い出せない。。。
 うーん

 ワインは軽く、飲みやすい。夏の太刀魚もあっさりしている。
 そして少しクセと噛みごたえのある肉を食べた途端、88年の冬に
 イタリアとオーストリアの国境近くのチロル地方、ソンネソーレ村の
 レストランで子鹿を食べたことを鮮やかに、本当に鮮やかに思い出した。
 鹿肉には鹿肉にしかない味わいがある。とは言えソースも味付けも違いは
 あるだろうに30年も前の旅の味覚をよくも思い出したものである。
 やっぱりまだボケてない、大丈夫だ、笑。

 そしてその30年前のデザートは、ケシの花のアイスクリーム。
 もしも同じものがあったらと思ったが、それはさすがになかった。
 薦められたクリームブリュレに惹かれるが、大切な記憶のアルバムの
 中にそっとしておくことにしてデザートはやめる。思い出に上書きは
 必要ないだろうから。

 ル・コルビュジェの終の住処であるキャバノンには、隣にヒトデ軒
 というレストランがあった。彼はどんなものを味わっていただろうね。

 
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 酔い覚ましの帰り道。岬の向こうに、モナコの夜景が見える。

    

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2018年1月 9日 (火)

Stairway to Heaven

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 ル・コルビュジェ夫妻の眠る共同墓地は、コミュナル・ロクブリュヌ=
 カップ・マルタンというそうです。

 カップ・マルタンと言えば、日本では赤いきつね、緑のタヌキとして
 知られますが、おフランスではちょっと違うようで、、、失礼。もとい

 麓の海辺の町から、その村の共同墓地まで歩いて1時間弱。
 きつい場所はありませんが、細い坂道の入り組んだ路地と階段を
 てくてくてくっと上がって行きます。
 クルマを使えば、迂回はするものの、もっと速く簡単に辿り着ける
 でしょう。しかして歩いていくことに価値があるように思いました。
 村への小さな標識を見落とさないように、時々思い出したように町を、
 海を振り返りながら、一歩づつ天国への階段を登って行きます。

 長閑で、途中猫がいたり、花が咲いていて、道中は飽きさせない。
 村に着くと、子供たちの声がして、オリーブオイルを使った夕食の
 匂いがしてきます。
 なんというか、共同墓地という形をとりながらも生活の中に、まだ
 死が切り離されていないように思えました。


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2018年1月 8日 (月)

Communal

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 新年そうそう棚卸し。

 夏休みに南仏へ出かけました。
 自分の気になっていたこと、言うなれば宿題を果たしに。

 私は特に建築の仕事をしているわけでもないのに、思えば
 これまで結構な数のル・コルビュジェの手がけた建築を
 見てきました。
 パリをはじめとして、ベルリンやローザンヌで眺めてきた
 それらは、ル・コルビュジェが残した建築という形でした。
 それは本人の痕跡と言ってもいい。どこへどれだけ訪れても、
 その痕跡を探り辿るだけでした。

 そしてこれが、ル・コルビュジェの眠るお墓です。
 なんというか、これまでの建築のような痕跡ではなく、
 ル・コルビュジェ本人に一番近づいた瞬間になります。
 ただ彼がもはや生きてはいないというだけであって。
 
 そのコンクリートで造られた墓の、直筆のプレートの名前に
 手で触れると、石のそれとは違い意外や温かい。
 それは彼の体温を感じさせるようで、さすがに胸にせまる
 ものがありました。

 会ったこともない人なのに、何故こんな思いになるのか。

 これまで南仏へは仕事も含めて何度か訪れていました。
 カップ・マルタンへはニアミスを繰り返していました。
 ようやくここを訪れることが出来て、感無量とはこのこと
 かもしれません。

 夏の夕暮れ。もうすぐ閉門時間の20時。
 でもそのことを咎める人などいません。
 村の共同墓地には、たった今私しかいないのですから。

 眼下に地中海が眺められ、美しく、そして静かで平和な場所です。
 お墓のプレートの意匠は、海の水平線と夕暮れ空の交わる黄色で
 しょうか。眼の高さを合わせると、その意匠と実際の水平線が
 重なります。

 帰り際、墓地の門の脇にどういうわけか、詰所があるわけでも
 ないのに小さな黄色いポストが置かれていて、私はル・コルビュジェ、
 本名シャルル・エドワール・ジャンヌレさんへ手紙を書いて
 みたくなりました。


   

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2018年1月 1日 (月)

恭賀新年

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 Saint Marie de La Tourette by Le Corbusier 1957


 昨年も拙ブログをご笑覧いただき、ありがとうございました。
 また更新が滞り失礼しております。
 本年も気長にお付き合いの程、よろしくお願い申しあげます。

 皆様に幸運な一年が訪れますように。

 2018年 元日 UMAGURUMA

  

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