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2018年2月28日 (水)

Lyon Confluence

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 リヨンには、ローヌとソーヌの二つの川がある。
 古今東西、水の豊かなところには人が集まり文化文明が生まれ
 都市が栄える。

 コンフリュエンス(合流点)と呼ばれる、二本の川の中州には21世紀に
 入って再開発された街があって、多くの建築家たちがこぞって現代的な
 集合住宅やオフィスビル、公共建築の美しさを競っている。

 奇抜さを感じるものもあれば、コンサバティブなものもある。
 住宅にしても、同じ様な建築が並んでいるのに、同じものはなく
 それでいて街なみに「ちぐはくさ」を感じない。まるで様々な
 人種の、人間達が立ち並んでいるかのよう。
 移民とか、多様性の社会というものを建築を使って表したら、
 きっとこのコンフリュエンスみたいな街になる。

 
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  Lyon Confluence プロジェクトについて

  

    

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2018年2月25日 (日)

頭文字D @ L'Arbresle

  
 ラ・トゥーレット修道院を見学した日の夕方、てくてくっと山道を
 下ってル・アーブレスレ駅について、掲示板で列車の時間を見ていた。
 これからリヨンの市街へ戻るのだ。

 リヨンはパリに次いでフランス第二の都市。とはいえ郊外に出ると
 列車の数は激減する。たった今しがた、一本行ってしまった後じゃ
 ないか。。

 さてさて、と、思っていたら後ろから声を掛けられて振り向くと
 黒人の若い女の子。身なりはごくフツーの若者で黒づくめの
 Tシャツにレギンス。掲示板を指差しながら、どこだかの駅の
 名前を言っている。
 フランス語がわからないと応えると、例の親指と人差指と中指の
 三本を擦り合わせるジェスチャーでノーマネー・シルヴプレと言う彼女。

 やれやれ、またかと思いながら、歩いて帰れないのかと言いた
 かったがグーグル翻訳を立ち上げる気も起きない。
 そもそもこれでお金を渡したら、今朝のマルセイユのドミニク、
 あるいはドロシーのオバさんにも申し訳が立たないではないか。
 ノンと断ると、三本指をパッと開いてフンッときた。
 くるりと踵を返してさっさと立ち去る彼女。うーむ、失礼な。

 まだ次の列車まで一時間近くもあるので、折角だからこの町を
 見てやろうコーヒー飲みたいし、と気を取り直して、駅を出て
 歩き出したら犬を連れた散歩オバさんがいた。
 挨拶をして町の中心はどっちだねと片言のフランス語で尋ねると、
 今日は日曜日でどこも閉まっているという。わかってまんがな。
 それなら教会はどこだねと尋ねるとオバさんはこの道をまっすぐ
 行って右へ曲がれという。ダッコォ、メルスィー!

 たとえ日曜日でも、どんな田舎町であっても、どこかにカフェの
 一軒は必ず開いているものなのだ。まるで薬局や当番医みたいに。
 欧州におけるカフェの存在とは、そういうものなのです。
 そして教会は常に町の中心か高台に位置して、ぐるりと見渡せば
 どこかにその塔が覗けて人々を導けるようになっている。
 欧州における教会と宗教の存在とは、そういうものなのだ。

 カフェを探して、小さな旧い町を歩く。
 教会の前の広場まできたら、さっき駅であった黒人の女の子が
 ベンチに座っていて、大きなペットボトルのコーラとハンバーガーを
 食べながら友達らしき仲間達とダベっていた。
 嘘つきというフランス語が分からなかったので、ノーマネーと
 言いながら指を指したらこちらに気づいて彼女は舌を出した。
 ふざけやがってぇ、尼寺へいけっ!尼寺へ!(もちシェイクスピア、
 ハムレット風に)

 コーラやハンバーガーを売っている店があるのだと思ったが
 流石に彼女に訊くわけにいかない。金もってんじゃんと言われ
 そうだし。

 再び気を取り直し、駅から歩いた時間を計り、方向を覚えながら
 勘を働かせて歩く。こんな時は駅へ戻る分の時間を残しておく。
 それまでに見つからなければ諦めればいい。
 どうあろうとも、すべてはなるようになると受け入れること。
 旅の時間は、人生の時間なのだ。

 そして町外れの幹線道路沿いに開いているカフェを見つけた。
 駅へ戻るための制限時間まであと10分ちょい。充分。
 
 田舎町の、寂れたカフェだった。でも客は10人以上、結構いた。
 そして客はすべて老人の男達だった。TVではサッカーの試合が
 流れていたが誰も試合を見ておらず、誰もがただカフェの椅子に
 座りビールや空になりかけたワイングラスを前に黙っていた。
 退屈という苦痛に耐えるには、この町ではそれしか方法がない
 ように思えた。

 表の席に着いて店員に手を挙げ、私はエスプレッソを頼んだ。
 隣の老人と眼があったが、会釈はない。
 家に帰っても、今日は店で日本人を見たなどと、話す相手は
 いないだろう。

 今朝マルセイユを発ち、昼前にリヨンに着いて、露天の市場を
 覗き、ラ・トゥーレット修道院へ山道を歩いて、黄昏が始まろう
 とする今、老人達に囲まれて寂れた田舎町のカフェにいる。
 疲れている身体に思い切り苦いのが飲みたくなって、エスプレッソ
 をダブルに、ドッピオに頼みなおした。
 長い長い日曜日、一日の終わりに飲むコーヒーの頭文字はDだ。

 ドッピオは思った通り苦かった。でも、どこにでもある味だった。
 そういえば黒人の女の子に名前を尋ねるのを忘れた。
 君の頭文字は、と。

 リヨンなら日曜日でもどこかで切手が手に入るだろう。
 お釣りを貰わずに席を立ち、私は駅へと急いだ。


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2018年2月24日 (土)

Flux de temps 

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 ラ・トゥーレットは、もはや修道院としては運営されていません。
 
 1959年生まれ。今はガイドツアーの他、アートイベント開催や、
 8月のヴァカンス時期以外であれば修道生活体験として一般客が
 滞在することも可能。
 一昨年はアニッシュ・カプーアの展覧会があったとのこと。

 これだけの大きさの歴史的な建造物を維持するには、大変な金額が
 掛かる。例えば細い蛍光灯ひとつとっても元々作れるところが1社
 しかなく、このラ・トゥーレットのオリジナルを保つために、そして
 技術を継承するためにも特注しているとか。請け負う側も決して
 利益がでてはいないそうですが。

 たった今フランスで修道院の経営というものが、宗教法人として
 どのくらい厳しいものなのか私には不明だけれど、修道士の数が
 極端に少なくなっているのは事実だそう。
 宗教建築として当初の役目を終えたということでもない模様。
 時代の流れなのでしょう。

 都市の共同住宅であるユニテ・ド・ダビダシオンが、ある意味今も
 健全な状態を保っているのに対して、条件も環境も異なるとはいえ
 対照的ではあります。
 ロンシャンの礼拝堂はやっぱりベルフォールの山の上、ド不便な
 ところにありますが、最近レンツォ・ピアノによるビジターセンターを
 併設したそうで、上手くいってますよね、おそらく。やりよう、と書くと
 語弊がありますが、「生きて行くために活かすこと」、進化が必要なの
 かもしれません。

 ラ・トウーレットへは、リヨンの市街から列車で郊外へ。
 最寄りのル・アーブレスレ駅前から案内板のある田舎の坂道を歩いて
 20分程。美しくオリジナルを保たれている「今のうちに」訪れるべきと
 思いました。

 サイトはこちら。英語とフランス語の同時ガイドツァーがある。
 カップ・マルタンも同様でしたが、訪れた時は30人ほどのビジター
 のうちアジア人は私一人でした。


 
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 小さきものはみな美しきかな、とは枕草子。
 建築のディティールも感心はするけれど、人のアートは模倣であって、
 自然とその生命の精緻さにはまだまだ敵わない。
 ラ・トゥーレットへの田舎道を歩きながら、そう思いました。


       

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2018年2月18日 (日)

Iannis Xenakis

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 ル・コルビュジェの建築事務所で10年の間、設計の仕事をしながら
 現代音楽を創作していたイエリ・クセナキス。
 ルーマニア生まれのギリシャ系フランス人、アテネ工科大卒のエンジニア
 でもあったクセナキスが試みていたテーマは、自分の考える音楽を建築
 として可視化し、形にすることだった。

 クセナキスが設計を担当したという、このラ・トウーレットの祈りの場へ
 向かうための通路にあるそのグラス面は、五線譜のフォーマットを逸脱
 したかのような現代音楽を思わせる。

 そのグラスを手で敲くと、一枚づつ音の高さが異なるのです。
 現地で枚数を確認するのを忘れてしまったのですが、クセナキスの
 音楽理論に倣えばおそらくグラスの大きさは12種類、つまり12音階
 (平均律)あるはず。
 そして印象に残るのは、グラスが矩形の組合わせであること。
 すなわちモンドリアンスタイル。

 また一方で、それは教会のステンドグラスを想気させる。
 かつて訪れたイスタンブールのアヤソフィア聖堂には4世紀頃の
 透明なグラスがあって、それが世界最古のひとつだった。
 その後加工技術が発達し、中世のロマネスクやゴシック時代には
 ステンドグラスとして着色と模様による華美な装飾が長く長く続く。
 そんな装飾を排除したモダニズム建築の透明なグラスは、肥大化する
 宗教へのアンチテーゼだったと同時に、無垢な白、透明であるべき
 原点回帰へのメッセージだったのではないか。

 もうひとつは図書室に置かれたル・コルビュジェがデザインしたという
 白い椅子。かつてユトレヒトを訪れて眺めた、かのシュレーダー邸の
 ヘリット・リートフェルトによる「赤と青の椅子」と同じフォルムです。
 しかしてル・コルビュジェは白、伽藍は白くあるべきと。
 それらがリートフェルトの引用、そしてモンドリアンへのリスペクトと
 考えると興味深い。

 ル・コルビュジェはカソリックだったが、無神論者でもあった。
 ロンシャンの礼拝堂、ラ・トゥーレット修道院、フィルミニの教会。
 有名な三部作、宗教団体のリクエストを引き受けるのは人生の後半、
 妻のイボンヌとお母さんが亡くなってからだ。彼のお墓に自ら描いたのは
 海と空の水平線であって、十字架ではない。

 クセナキスは、物理のブラウン運動から作曲のヒントを得るような
 言わば音工的感性を持っていて、建築と音楽の二足の草鞋を履いていた。
 今風に言えばダブルメジャー、はたまた二刀流。
 勿論クライアントに言われたことをやるだけの、建築事務所のいち
 アシスタントではなかった。

 優れた集団には、また素晴らしい才能が惹き寄せられ集まる。
 Great minds think alike.

 建築をオーケストラに喩えれば、クセナキスはファーストヴァイオリニスト
 かピアニスト。ル・コルビュジェはプレーヤーを惹き立たせ、その才能を
 引き出せる名コンダクターでもあったのだろう。

 先の白い椅子も矩形グラスもインストゥルメント、言わば楽器であって
 ハイブリッドというよりは、アレンジメントとコンダクティングのための
 構成要素なのだ。

 そんなわけで、ようやく訪れたラ・トゥーレット。感無量です。
 私は、そのグラスに手を当て、そしてクセナキスの声を聴く。
 その手で敲けよ、さらばその波動は手を伝い、耳を啓き脳へと響き、
 また己れの心に還るだろう、と。


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2018年2月17日 (土)

Detail @ La Tourette

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 当たり前なのだけれど、建築の細部に惹かれる。
 赤と青、電気と水の配管は血管の動脈と静脈に見立てられ、
 繊細な細さの蛍光灯は粋(いき)を生かすための無粋(ぶすい、
 ではなく、むわく)となる。
 大切なのは配置のバランス。佇まいとアトモスフィア。
 そしてそれを支える手仕事。たとえコンクリートの枠型がずれて
 窓が斜めに変形しても、その偶然を許し楽しむこころ。

 コストを掛けずにアイディアを形に。
 あたかも花の美しさのように、
 それらに神が宿っている、かどうかは見る者に委ねられる。
   
 
  

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2018年2月15日 (木)

Couvent de la Tourette

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2018年2月13日 (火)

頭文字D @ Marseille Saint Charles

 マルセイユのユニテ・ド・ダビダシオンをチェックアウトした朝、
 地下鉄に乗ってセントチャールズ駅に着いて掲示板を見上げると、
 列車の発車時間まであと20分あった。

 ホームの手前にカフェがあって、朝食のクロワッサンとコーヒーを
 買っていると隣のキオスク、Relayにあるタバコの看板が目に入り
 郵便切手を買うことを思い出す。
 夏のヴァカンスシーズンの南仏では、どこへ行っても切手が売り切れ
 ている。皆考えることは同じで友人やら恋人へ今南仏に来てるのよ
 ウフフン絵葉書を出すのだ。

 それでRelayのレジに並んだはよいものの、前の客のくだらない
 与太話で待たされる。列車の時間がプチ気になり始めた時、ふと
 店の前に立っているオバさんのTシャツのロゴが目に入った。
 その胸には日本語で「頭文字D」と書かれていたのだった。。

 頭文字D、イニシャル・ディーとは、日本のマンガである。
 マンガに疎い私でも、それが旧い車が出てくるクルマ系ヲタクの
 人気マンガであることを知っている。
 はたしてマルセイユのオバさんがそのマンガを読んで、分かって
 Tシャツを着ているのか、、だってトヨタのハチロクに乗っているよう
 にはどうにも見えない、、フシギな違和感だった。

 ようやくレジが空いて切手をくれと頼むと、ここにはないよ郵便局へ
 行けばとあっけない一言でガックシ。。今日は朝からついてないかぁ、
 と思い始めたが気を取り直す。

 店を出ると「頭文字D」のオバさんがするすると近寄って声をかけて
 来た。じろじろとTシャツの胸を見ていたせいで何か文句かと思ったら、
 南フランス語なまりでマンジャー云々と言い始め、、、食べるものが
 なくてどうかお金を恵んでくれと言っているのだった。

 歳の頃は60。ボサボサ髪に化粧っ気ゼロ。でも汚らしくはない。
 オバさんの身なりをみる限り、ホームレスにも難民にも見えなかった。
 でも生活に困窮していることには違いない。

 しかして、お金を渡すわけにはいかない。
 これまでも、ジプシーでも難民の子供であってもお金そのものを
 渡したことはない。そう決めている。
 私はオバさんに首を振ってノンと答えた。そしてふと思い出して
 昨日スーパーで買っておいたバナナ1本をバッグから取り出した。
 そんなバナナことをしてどうなる! ええ、わてはアホですねん。
 一瞬戸惑いをみせたオバさんはバナナを受け取る。力なく笑顔もなく、
 でもメルスィーの言葉は忘れなかった。

 オバさんは小銭が欲しかったのだろう。毎日タバコ銭欲しさに
 ああやって駅に立っているのかもしれない。
 急ぎ足でプラットホームを歩きながら、オバさんの名前を訊くのを
 忘れたと思った。もしやドミニクとかドロシーとか、頭文字がD
 だったらオモロイ、なんて思いながら。

 ナント行きのTGVは8時44分発。これからリヨンへ向かう。
 昼前に着いたらホテルに荷物を置き、そして午後はル・コルビュジェの
 ラ・トゥーレット修道院へ行くのだ。
 車両に乗り込みながら席の番号を確かめようとiPhoneを取り出し、
 フランス国鉄SNCFのアプリを立ち上げてE-チケットの画面を出す。
 そして今日が2017年8月13日、フランス語の日曜日は
 頭文字がD、ディマンシェであることに気づいた。

 どうかオバさんに、今日が良い一日でありますように。
 

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2018年2月12日 (月)

la vie quotidienne

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 8月のヴァカンスシーズンは、ホテル・ル・コルビュジェのなかにある
 レストランは残念ながらお休み。。

 だから本当は部屋のキッチンで調理が出来れば良かったのですが、
 消防法のためかコンロは取り外されていて火が使えないのです。
 (先の写真では分かりにくいですが、コンロのあったと思しき場所の上、
 棚の内側には換気ダクトや照明が残っていて、最初からシステムキッチン
 として見えないよう組み込まれています。バウハウスに倣っていますね)

 かろうじて電気ポットでお湯は沸かせるけれど、置かれているのは
 ティーバッグとマグカップのみ。。
 ホテルも勿論キッチン付きとは謳っておらず、電子レンジやらお皿、
 カトラリーの類も用意されていないのです。

 しかしてこんなこともあろうかと、旅の相棒、古リモワの中にはプラス
 ティックのカトラリーを常に忍ばせています。
 そしてユニテのすぐ目の前には大きなスーパーマーケットのカジノが
 あって、惣菜やパン、野菜や季節のフルーツといったマルセイユの
 「普段の生活」が手に入るのでした。

 でも何より部屋の窓からのその場所にしかない景色が一番のご馳走。
 そしてユネスコの世界遺産に泊まれるという経験。
 いったい何の不満がありましょうか。

 ホテル・ル・コルビュジェの予約サイトはこちら

 
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 ユニテのすぐ傍にあるスーパーのカジノ。衣料品から生鮮から、生活の
 ものはおおよそ手に入る。
 お菓子の種類は多くちょっとしたパティセリーなみ、店内で作られている。
 流石はおフランス、マカロンが10種類もあるのは民度が高いざんす。
 いわゆるハイマカミンというやつですね。言わんか

 近所のおばさんがそのマカロンを時間を掛けて選んでいる。マルセイユ
 だろうがどこだろうが、日々の生活の中で、たとえ高級でなくとも
 小さな他愛のないことでも「迷って選ぶような楽しめる時間」が
 一日のうちに一度でもあることが大切だということ。

 
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 スーパーとしてはセルフスキャナーを導入して効率化を図ろうとする。
 しかして従業員も客も与太話を始めてちっとも進まない。でも本当は
 少しでも生活の中に「人間の会話」があることが大切なのだ。
 そう思うと、しょうがねえなぁ、なんて思いながらも待てる余裕が
 生まれるようになる。時間の余裕ではない、心の余裕なのだ。


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2018年2月11日 (日)

Humble Architecture

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 一晩、窓を開けて寝たんです。
 寝たんでるたーる人になったんです。

 普段は、悩んでるたーる人のように
 自分の家でも耳栓をしていないと眠れないのですが。
 あーしょーもな。。。

 ユニテ・ド・ダビダシオン。
 部屋が最上階で8階というのは、そう高くもなく低くもなく
 マルセイユの街が窓から見渡せる。
 身体にモデュロールの物差しがあるように、街にもおそらく
 良い塩梅の建築サイズがある。例えばハワイのカウアイ島が、
 椰子の木を超えない高さに建築が整えられているみたいに。
 英語だとハンブル、Humble、思慮のある建築でしょうか。

 港の向こうに地中海が眺められて、
 右の背後に遠く、おそらくはピレネーの山並みが控えて、
 左はセザンヌが描き続けたサン・ヴィクトワールを思わせる山々。
 空が高くて

 そんなユニテの部屋には、いろいろな訪問者があるのです。

 大きな客船やタンカーがゆっくりと通り過ぎる。
 確かに汽笛が聴こえて、軽く挨拶してゆくみたいに。
 いくつもの鳥の鳴き声が、代わる代わる聴こえてくる。
 樹々が風に靡き、途切れ途切れ、公園からの子供達の笑い声。
 自動車の走る音は繰り返す波のようにも聴こえ、収まると
 今度は救急車のサイレンや、オートバイが通り過ぎる。

 陽の光は、刻一刻とその姿をかえながら部屋を訪れる。
 気を使って靴を脱いで、素足になるみたいに。

 バルコニーにいると、午後が長い。

 陽の光が少し低く、柔らかくなり始めたことに気づいたら、
 今度はどこからか夕飯の匂いがして、今夜のおかずはなんだろう。
 やがてお母さんの声は、子供の名前を繰り返す。

 ゆっくりと夜の帳が降りるにつれて、ぐんじょうとびりじあんが
 混じるようで混じらない。はたしてマーク・ロスコーは
 キャンバスに向かう前に、どれほどの時間夜を眺めていたか。

 やがて夜のぐんじょうに軍配が上がると、小さな星たちがあらわれて、
 そのあらわれたというのは、ただ自分の眼には見えていなかった
 だけであることに気づく。

 星の瞬きに応えるかのように、マルセイユの街の灯りがともる。
 そしてまた徐々に消えてゆく。ぐんじょうは黒い闇にはならない。
 どんなに暗い夜にも、明日へ繋ぐための誰かの営みがある。

 そして旅の時差の良いところは、朝の暗いうちに目覚めること。

 薄暮の空に残るいくつもの白いチョークの落書は、飛行機の仕業だ。
 聴こえてくる早起きな小鳥の歌。
 陽の光と鳥の声で目覚めることが、こんなにも満たされること。

 まあるい地球には戦争をしている人たちが絶えなくて、
 たった今も難民を乗せたボートは海を渡っている。
 もしかしたら、もう間も無く世界が終わるかもしれないのに、
 昨日と同じようでいて少し違う、また朝がやってくる。

 シャワーを浴びて、そしてお湯を沸かさなくては。
 君たちに、お茶を淹れてさしあげよう。


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2018年2月10日 (土)

Mondrian Style @ Unite de Habitation

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2018年2月 4日 (日)

Texture @ Unite de Habitation

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2018年2月 2日 (金)

Unite de Habitation

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 マルセイユのセントチャールズ駅から地下鉄にのって、
 最寄り駅を降りて駅前の道を南へ10分ほど歩くと、右手に
 ユニテ・ド・ダビダシオンが見えてくる。

 スーツケースを引きながら、樹々の間から、ゆっくりと
 その姿が見えてくるのが、いいです。

 ベルリンのユニテは、訪れたのは冬だったのだけれど、
 オリンピック公園の傍にあってやっぱり緑が豊かなところ
 だったのを思い出した。

 例えば自分の家に帰るとき、遠くからその窓に灯りがついて
 いるのが見えたりすると、ちょっといいじゃない。
 何気ないことなんだけど、忘れていたあの感じ。

 マルセイユのユニテは今、何室かが借り上げになって、
 ホテルになっているのです。
 いちいち「コル気」にならなくても、誰でもが泊まれる、笑

 でも折角だから、ひととき住人になったつもりで、
 住むように、暮らすように、てすとしてみるてすと。

 部屋に入ったら、ただいまって言ってみようか、と。
 

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