2018年4月 9日 (月)

Les Globes @ Art/Afrique LVF

 Img_3196

 
 ルイ・ヴィトン・ファンデーションでのアート・アフリカ展。
 いやはや、強烈な刺激であります。

 サスティナブルなどという言葉は、経済先進国の戯言かも。
 世界はエントロピーのゴミで出来ているという事実。
 得体の知れないエネルギー。不快と愉快の境界。

 東日本大震災の後に、福島の子供たちがやっぱりプラスティックの
 漂流物、ゴミを使って、お面や人形やロボットを見立てで
 作っていた類似作品があったのを思い出しました。
 バケツやブラシ、プラボトル。
 一見他愛の無さに思えますがその実は、創作のエネルギーの源は
 もしや社会的なストレスによるものだったのでしょうか。
 アフリカと福島の違いは、慢性的な貧困、憎しみの矛先。

 アートなので、どう解釈しようと見る側の自由ではあります。
 しかして間違いなく2017年に見た美術展のベスト。

 宇宙にも人間のエントロピー活動のゴミ、デブリが問題に
 なっていることを思い起こしました。

 アートアフリカ展は、この後世界に巡回すると思います。
 東京で再び考えさせられることを楽しみにしたく。 
   
 
 Img_3197
 Img_3156_2
 Img_3167
 Img_3160
 Img_3182
 Img_3206_2

    
  Art Afrique LVF

| | トラックバック (0)

2018年4月 8日 (日)

Les Globes @ La Seine Musicale Paris

 
 Img_3252

 
 パリの西、ブローニュの森の外れのセーヌ川セガン島に建てられた
 音楽のための複合施設、ラ・セーヌ・ミュジカレです。

 建築は板茂先生。球形のガラスドームはソーラーパネルだそう。
 太陽光を求めてドームが自律的に旋回すると知って、すぐに地球儀を連想。
 はたまたムーラン・ルージュか場末のスナックのミラーボール、笑

 フランク・ゲーリーのルイ・ヴィトン・ファンデーションは大海原を駆ける
 ティークリッパーのような大型帆船をイメージしますが、こちらは川面に
 浮かぶアジアの帆船を思わせます。

 建築が美しいかどうかは観る者に任せるとして、しかしどちらも一度見たら
 忘れられない強烈な印象を残す。

 例えば音楽の一度の体験が、時としてその人の人生を変えてしまう
 こともある。美術館でのアートもまた。

 その意味でその体験の場が、その建築の強烈な印象と共に記憶に残る、
 残せるというのは幸せなことなのでしょう。

 
 Img_3243_2
 Img_3263_2

 
 Img_3282
 Img_3284
 Img_3283

 セガン島は元はルノーの工場跡地だった。それ以前古く4世紀には修道院
 だったとか。5月の鱗落としはボブ・ディランだったそう。

 残念ながら8月のヴァカンスシーズンは公演お休み。
 ホール体験は次回のお楽しみ、ですね。

 https://www.laseinemusicale.com

     

| | トラックバック (0)

2018年4月 7日 (土)

Les Globes @ BnF Paris

 Img_2926


 パリの13区にあるBnF、フランス国立図書館のミッテラン記念展示室には
 興味深い展示があって、実は見に来るのは2015年に続いてこれが二回目。

 17世紀に枢機卿からルイ14世に贈られたコロネリの地球儀と天球儀です。
 レプリカではなく、本物。
 当時判り得るだけの地球と宇宙の情報を盛り込み、美的な装飾を目的に
 作られたもの。

 これらは球儀としては世界初でもなく、現代と比べればもちろん正確でも
 ないわけですが、直径約4mと巨大です。
 貢ぎ物として、驚かせる意味があったと想像。そして世界は貴方のもので
 あるという領らしめ。専用の見晴らし台があったらしく、ルイ14世は
 台の上から眺めて楽しんだとのこと。。

 地球儀に描かれた地図がまた興味深い。
 14世紀にコロンブスがアメリカ新大陸を発見したというのは間違いで、
 13世紀の終わりにはスペインのアメリゴ・ヴェスプッチが発見していて
 その名前からアメリカと命名された。
 亜細亜はまだまだ未開で、我が極東は形があやうく、北海道が無い。。
 その後のコロンブスの発見は、アメリカの新世界とヨーロッパの旧世界を
 つなぐ交換貿易の道を開いた。
 コロンブス交換は21世紀の今も、資本主義の貿易戦争として続いている。

 どうやら世界が丸いってことは、航海の水平線から想像がついただろう。
 太陽は丸いことからも同じように丸いはずだと。
 アースの意味は大地であり、地球でもある。
 天球はどうだろう。地球を包み込むように存在する天空を球儀として表現する
 ことに矛盾は感じなかったのだろうか。

 内からヒトの視点で見るか、外から神様の視点で眺めるか。
 表現形はともかく、天空の神話や魔物は主にギリシャ人やペルシャ人達の
 想像力によって創られ伝えられたことが容易に想像される。
 恐れや未知がそうさせたのでしょう。

 この天球儀に描かれた星座は、ルイ14世の誕生日のもの。
 星の下に生まれることが、その人の定められている運命であると信じられた。

  
 Img_2927
 Img_2929
 Img_2931

 http://www.bnf.fr/fr/acc/x.accueil.html

   
   

| | トラックバック (0)

2018年3月 5日 (月)

TGV

 Img_01481
 

 リヨンからパリへ向かうTGVの窓から、
 隣を走る高速道路のプジョーやルノーのトラックを眺める。
 時々TGVに食らいつくようなスピードで走っているのはメルセデスや
 アウディで、どこからか艶かしいマセラティや旧いアルファロメオが
 矢のように追い抜いてこないかなぁ。
 空の上の方を走る雲の群れはなかなか近づいてこないから、
 彼らはかなり頑張ってアクセルを開けているのだ。

 TGVに乗ると、いつも思うのは車体に結構な揺れやヨレがあること。
 新幹線だと静かすぎて「飛ばしている感」みたいな感覚が薄い。
 そんな振動や揺れが、不快かというとそんなことはなくて寧ろ逆。
 それは欧州車の運転感覚に似ているのかもしれない。
 新幹線やレクサスの技術がたいしたもので、快適なのはわかるけれども。
 それって誰かに「乗せてもらっている感」なんだろうか。

 東海道新幹線を東京から西に向かうと、富士の裾野も絶景だけれど、
 結構好きなのは、浜名湖の弁天を渡る陸橋で左斜めになりながら
 スピードがぐっと下がる時。
 近づいた湖面の水のうねりがはっきり見えて、光に変化が起こる。
 ちょっと音楽の、曲のリズムが、変調する時みたいで。

 やがてリニア中央新幹線が開通したら、東京から名古屋まで40分。
 飛行機の持つ時間距離の感覚に近づく。
 その時に得られるものと失われるものは一体なにか。
 自動車が彼らに対抗するにはいよいよ翼をもつしかなさそうだ。

 そんなことを考えているうちに、パリのリヨン駅。
 ホームを歩きながら、今乗ってきたTGVの車体の汚れの生々しさに
 ハッとして思わず写真を撮る。
 ルマン24時間を走り終えたレーシングカーの迫力と同じ種類の美だ。
 空気を切り裂き続ける力によって、ただの汚れが美へ昇華する。
 クチバシだけではなく、やがて列車も翼をもつように進化するだろうか。

 それにしてもパリの光は美しいな。着いた着いたー

  
 Img_01571

 Img_0160
 Img_0159
 Img_0158_2

    

| | トラックバック (0)

2018年3月 4日 (日)

je t'aime

 Img_28001

 中学生の時に、遠藤周作を読み始めた。沈黙、海と毒薬、白い人・黄色い人、
 そして狐狸庵先生。

 遠藤周作が学生時代に留学した街として、リヨンはエッセイに度々登場した。
 リヨン大学仏文科の苦学生で、ジャポネーズだった遠藤周作にはどこにも
 「行き場」がなくて、誰もいない冬の動物園で、毎日のように猿の檻の前で
 過ごしていたという話がある。

 宗教と日本人について、その矛盾について、人に必要なユーモアと愛情、
 生と死、そして孤独について、たくさんのことを遠藤周作の本から学んだ。

 またリヨンに来たら、今度は遠藤周作の足跡を辿らなくては。
 おそらくここも何度も訪れたであろう大聖堂を仰ぎ見ながらそう思った。
 猿に愛を告白されたというその動物園は、まだあるのだろうか。


 Img_2804
 Img_2807
 Img_2806

    
     

| | トラックバック (0)

2018年3月 3日 (土)

ville de vélo

 Img_2685


 そしてリヨンの街は、旧市街からコンフリュエンスなど、
 主だった場所はおおよそ自転車で廻れる距離感が良いです。

 パリのヴェリブと同じシェアリングのシステムが導入されていて、
 自転車はつくづく都市の乗り物だなぁ、と思う。
 都市の建築にハンブルさが求められるように、言い換えれば
 人の生活圏として、その移動に適した広さの街がある。
 その範囲のなかで文化活動も含めたおおよそが足りてしまうという。

 QOLの基本は街のインフラから。その中に自転車がある。
 クルマの場合は所有から、共有するものに変わろうとしている。
 中国の大都市ではリープジャンプで先に自転車がシェアになった。

 おそらくリヨンも、住めば都蝶々。知らんか


 Img_2777 Img_27751 

 Img_2817

   

| | トラックバック (0)

2018年3月 2日 (金)

Huitres

 Img_2843

 そしてリヨンは、かのポール・ボキューズを生んだフランスの食文化を
 代表する街でもある。食い倒れの街、大阪のようかも。
 ずいぶんと昔、大阪ラテン説を拙ブログに書いたことを思い出しました。
 ただしここには道頓堀のようなケバい看板もなく、人形が立ち上がったり
 タラバガニが動いたりもしない。うどん屋の「あそこ」もない。
 良い悪いではなく、あそこはとても大事という話。ちがうか

 TGVの停まるリヨン・バールデュウ駅のほど近くにポール・ボキューズの
 名前が冠された新しいマーケット、レ・アールがオープンして、高級な
 食材や総菜、レストランがある。

 でもって、ランチは生牡蠣のサンプラーをいただく。地元のグラス
 ワインがついて50ユーロほど、泣。
 今日の産地はオレロン、ブルターニュ、ノルマンディの3種類。
 そして昼間からロブスター、もち時価です、号泣。
 ダミアン・ハーストが喜びそうな真っ二つだ。


 Img_2855_2 Img_2864_2
 Img_2859
 Img_2865_3


 アホづらで泣いている場合ではなくて、
 生きることは、つくづく命をいただくことだと、こんな時に強く思う。
 牡蠣は海の味がして、特別に、そう思う。感謝。


 どうでもいいんですが、自転車のディレイラー(ギアの変速機)で
 フランスにユーレーというメーカーがある。あった。
 ずっと長いこと、リアの変速機が牡蠣の形に似ているからその名前
 なのだと思い込んでいました。ですが、綴りを読むと変速機は
 Huretであって牡蠣はHuitreだったのですね。。。
 面長のユーレーを手に取った時の感じも、頑丈な殻も、ユーレーは
 ユーレーに似ている、と今も信じ続けているのですが。
 

 Img_2849_2 Img_2847_2
 Img_2869_3 Img_2870_2 

 もちろん、リヨンは特にハイマカミン、すなわちマカロン民度も
 高いでしょう。

   
   

| | トラックバック (0)

2018年3月 1日 (木)

Lyon

 Img_2821
 
 リヨンはフランス第二の都市。ですが、パリとはまったく異なる形で
 発展していることが、街を望むこの風景からわかる。

 美しい街です。旧市街にはローマ時代の円形劇場が残り、中世の城壁
 路地が張り巡らされるようにあり、大聖堂がある。そして現代建築まで
 違和感を感じさせず存在する。欧州の中世がいかに前期から後期まで
 長く、栄えたかがわかる。平和にではありませんが。
 積み重なっているそのバランスが、絶妙なのです。長い歴史から眺めたら
 近代の建築なんてほんとうにごく最近のこと。

 リヨンに住む人は、リヨンをリヨンらしく保ち、そのことを誇りに
 思っているだろうことが、街を歩くと旅行者の私にも伝わるのです。
 東京の人は、東京を誇りに思っているでしょうか。江戸っ子なんて
 ほとんどいなくなってしまっているから、ちょっと違和感がある。
 京都や大阪の人の方が、地元愛や街に誇りを持っていることを強く
 感じるのに似ているかも。


 Img_2778
 Img_2824
 Img_2796
 Img_2782 
 Img_27001

 Img_2797
 Img_2781


 リヨンのオペラ座は、ジャン・ヌーベルによるリノベーション。
 新旧のハイブリッド建築。

 Img_28321
 Img_28391

 Img_2842

  
     

| | トラックバック (0)

2018年2月28日 (水)

Lyon Confluence

Img_2707
Img_2725

 
 リヨンには、ローヌとソーヌの二つの川がある。
 古今東西、水の豊かなところには人が集まり文化文明が生まれ
 都市が栄える。

 コンフリュエンス(合流点)と呼ばれる、二本の川の中州には21世紀に
 入って再開発された街があって、多くの建築家たちがこぞって現代的な
 集合住宅やオフィスビル、公共建築の美しさを競っている。

 奇抜さを感じるものもあれば、コンサバティブなものもある。
 住宅にしても、同じ様な建築が並んでいるのに、同じものはなく
 それでいて街なみに「ちぐはくさ」を感じない。まるで様々な
 人種の、人間達が立ち並んでいるかのよう。
 移民とか、多様性の社会というものを建築を使って表したら、
 きっとこのコンフリュエンスみたいな街になる。

 
Img_2732 Img_2730
Img_2743 Img_2748
Img_2744 Img_2747
Img_2751 Img_2752
Img_2755 Img_2759
Img_2757

Img_2759_2 Img_2766
Img_2769 Img_2771
Img_2762_2

  Lyon Confluence プロジェクトについて

  

    

| | トラックバック (0)

2018年2月25日 (日)

頭文字D @ L'Arbresle

  
 ラ・トゥーレット修道院を見学した日の夕方、てくてくっと山道を
 下ってル・アーブレスレ駅について、掲示板で列車の時間を見ていた。
 これからリヨンの市街へ戻るのだ。

 リヨンはパリに次いでフランス第二の都市。とはいえ郊外に出ると
 列車の数は激減する。たった今しがた、一本行ってしまった後じゃ
 ないか。。

 さてさて、と、思っていたら後ろから声を掛けられて振り向くと
 黒人の若い女の子。身なりはごくフツーの若者で黒づくめの
 Tシャツにレギンス。掲示板を指差しながら、どこだかの駅の
 名前を言っている。
 フランス語がわからないと応えると、例の親指と人差指と中指の
 三本を擦り合わせるジェスチャーでノーマネー・シルヴプレと言う彼女。

 やれやれ、またかと思いながら、歩いて帰れないのかと言いた
 かったがグーグル翻訳を立ち上げる気も起きない。
 そもそもこれでお金を渡したら、今朝のマルセイユのドミニク、
 あるいはドロシーのオバさん
にも申し訳が立たないではないか。
 ノンと断ると、三本指をパッと開いてフンッときた。
 くるりと踵を返してさっさと立ち去る彼女。うーむ、失礼な。

 まだ次の列車まで一時間近くもあるので、折角だからこの町を
 見てやろうコーヒー飲みたいし、と気を取り直して、駅を出て
 歩き出したら犬を連れた散歩オバさんがいた。
 挨拶をして町の中心はどっちだねと片言のフランス語で尋ねると、
 今日は日曜日でどこも閉まっているという。わかってまんがな。
 それなら教会はどこだねと尋ねるとオバさんはこの道をまっすぐ
 行って右へ曲がれという。ダッコォ、メルスィー!

 たとえ日曜日でも、どんな田舎町であっても、どこかにカフェの
 一軒は必ず開いているものなのだ。まるで薬局や当番医みたいに。
 欧州におけるカフェの存在とは、そういうものなのです。
 そして教会は常に町の中心か高台に位置して、ぐるりと見渡せば
 どこかにその塔が覗けて人々を導けるようになっている。
 欧州における教会と宗教の存在とは、そういうものなのだ。

 カフェを探して、小さな旧い町を歩く。
 教会の前の広場まできたら、さっき駅であった黒人の女の子が
 ベンチに座っていて、大きなペットボトルのコーラとハンバーガーを
 食べながら友達らしき仲間達とダベっていた。
 嘘つきというフランス語が分からなかったので、ノーマネーと
 言いながら指を指したらこちらに気づいて彼女は舌を出した。
 ふざけやがってぇ、尼寺へいけっ!尼寺へ!(もちシェイクスピア、
 ハムレット風に)

 コーラやハンバーガーを売っている店があるのだと思ったが
 流石に彼女に訊くわけにいかない。金もってんじゃんと言われ
 そうだし。

 再び気を取り直し、駅から歩いた時間を計り、方向を覚えながら
 勘を働かせて歩く。こんな時は駅へ戻る分の時間を残しておく。
 それまでに見つからなければ諦めればいい。
 どうあろうとも、すべてはなるようになると受け入れること。
 旅の時間は、人生の時間なのだ。

 そして町外れの幹線道路沿いに開いているカフェを見つけた。
 駅へ戻るための制限時間まであと10分ちょい。充分。
 
 田舎町の、寂れたカフェだった。でも客は10人以上、結構いた。
 そして客はすべて老人の男達だった。TVではサッカーの試合が
 流れていたが誰も試合を見ておらず、誰もがただカフェの椅子に
 座りビールや空になりかけたワイングラスを前に黙っていた。
 退屈という苦痛に耐えるには、この町ではそれしか方法がない
 ように思えた。

 表の席に着いて店員に手を挙げ、私はエスプレッソを頼んだ。
 隣の老人と眼があったが、会釈はない。
 家に帰っても、今日は店で日本人を見たなどと、話す相手は
 いないだろう。

 今朝マルセイユを発ち、昼前にリヨンに着いて、露天の市場を
 覗き、ラ・トゥーレット修道院へ山道を歩いて、黄昏が始まろう
 とする今、老人達に囲まれて寂れた田舎町のカフェにいる。
 疲れている身体に思い切り苦いのが飲みたくなって、エスプレッソ
 をダブルに、ドッピオに頼みなおした。
 長い長い日曜日、一日の終わりに飲むコーヒーの頭文字はDだ。

 ドッピオは思った通り苦かった。でも、どこにでもある味だった。
 そういえば黒人の女の子に名前を尋ねるのを忘れた。
 君の頭文字は、と。

 リヨンなら日曜日でもどこかで切手が手に入るだろう。
 お釣りを貰わずに席を立ち、私は駅へと急いだ。


 Img_26461
 Img_2654_21


    

| | トラックバック (0)

より以前の記事一覧